新盆にかかわる思いが率直に表現されているブログを発見しましたのでご紹介します。皆さまも身近な人を失ったとき、様々な思いがあったこととお察しいたします。 明順寺住職:齋藤明聖(釋明聖) ― 自分の中で、今年のお盆というのは […]
住職よりメッセージ
第119回:「貧女宝蔵」
『涅槃経』に「貧女宝蔵(びんにょほうぞう)」の喩(たとえ)があります。 一人の貧しい女性とその家族がいました。貧しさゆえ、つらく悲しい暮らしをしていました。絶望的でさえあるほどでした。あるとき、一人の旅人がやってきて、そ […]
第118回:「いのち 日々あらた」
死にむかって 進んでいるのではない 今をもらって生きているのだ 今ゼロであって当然の私が 今生きている ひき算から足し算の変換 誰が教えてくれたのでしょう 新しい生命 嬉しくて 踊っています “いのち 日々あらたなり” […]
第117回:「共命鳥」
『仏説阿弥陀経』に「共命鳥(ぐみょうちょう)」という鳥が出てきます。昔インドにいたとされる鳥で、姿も鳴き声も美しいことで知られていました。ただこの鳥は、首から上、つまり頭が二つありました。 あるとき口論になり、片方がだま […]
第116回:「お釈迦さまの涅槃」
『涅槃経』には、お釈迦さまのご臨終の予告からはじまる説法が説かれています。 お釈迦さまが間もなく亡くなられようとしていることを知った者たちは、驚きのあまり身の毛がよだち、悲しみのあまり全身の毛穴から真っ赤な血をにじませて […]
第115回:「人間の愚かさ」
大江健三郎さんがしばしば取り上げておられるミラン・クンデラという方の言葉なのですが、「愚かさというのは、じつは何に対しても答えを出しているということにある」と。 愚かさということについて私たちは、あの人は何も知らない人だ […]
第114回:「広大無辺際」
浄土の世界は「広大無辺際(こうだいむへんざい)」であると表現されます。 人間世界では、とかくグループや派閥をつくって人を排除しますが、浄土の世界は一人も漏らさない、どのような人も入ることができるということ。それを「広大」 […]
第113回:「チューダパンタカ」
お釈迦さまの弟子であったチューダパンタカは、自分の名前も覚えられない、皆から「愚か者」と呼ばれ、市(まち)の評判になるほどでした。 お兄さんは大変優秀なお弟子さんで、人々の尊敬を受けていました。兄は、ブッダの教えを四句の […]