第120回:「新盆」

新盆にかかわる思いが率直に表現されているブログを発見しましたのでご紹介します。皆さまも身近な人を失ったとき、様々な思いがあったこととお察しいたします。

明順寺住職:齋藤明聖(釋明聖)

自分の中で、今年のお盆というのは13日、14日、15日の三日間だということにしている。本当は13日と14日だけなのかもしれないし、あるいはもっと長いのかもしれないけれど、自分の仕事の忙しさとの兼ね合いで、金・土・日の三日間をお盆だということにしている。

このお盆という期間が正直、疎ましかった。世間ではこのお盆にあわせて休みをとる人が多く、一年で一番、「夏休み」という雰囲気が街に溢れる期間で、そんな緩みきった休日モードの中で普段と変わらず仕事をしなければならないというのは、正直癪に触った。

それに、小さい頃からお盆というのは嫌いな時期だった。この時期になると、友達はみんなどこかに行ってしまって、オレは退屈でしかたなかったからだ。

いまのいままで、お盆というのは一年で一番退屈な時期という認識しかしていなかった。「新盆」という言葉を聞いたときに、お盆というのは死者が一時的に帰ってくる時間なのだと知った。

「新盆」という言葉をオレは知らなくて、ある人が亡くなってから初めて迎えるお盆をそう呼ぶのだそうだ。「呼ぶのだそうだ」とか言って、このことを知らないことは27歳の大人としてあるまじき常識の欠如を表明しているような気がするけれど、「お盆」という行事に対するスタンスはいまもそんな感じである。「11月11日って電池の日なんだって!」「へえ」みたいな。

オレがお盆に関して無知でも、お盆には死者が帰ってくるって聞いたってまったくピンとこなくても、実家はお盆モードになった。仏壇は葬儀屋さんの手によって飾りつけられ、この三日間で何人もの人が実家を訪れてくれた。訪れた人たちはみな線香をあげて、手をあわせてくれて、家にいた母と長くない会話を交わして帰っていったのだろう。仏壇の周りにはたくさんお供え物が並んでいた。普段はない白い提灯が軒先に吊ってあって、お盆を迎える家はそういう風に提灯を吊るのだそうだ。

オレの父親は次男で、しかも長男の家とは仲がよくなかったから、お盆にこういう光景を見たことがなかった。日本人として恥ずかしいことかもしれないが、お盆に死者を弔うというのはこういうことか、と生まれて初めて思うことができた。

それまで「退屈」としか思わなかった「お盆」という行事に突然、「死者の弔い」という意味が与えられて、正直、それまでのお盆のイメージとどう折り合いをつければいいのかわからなかった。

もちろん、父親の死は悲しい。悲しいという言葉では到底表しきれないほど複雑な感情があり、「死者を弔う」気持ちというのはもちろんある。けれども、いままで疎ましく思っていたものに、降って湧いたように、取って付けたように、そんな意味を付与されても、戸惑わずにいられなかった。

自分にとってまだ、お盆というのは疎ましいものであって、死者を弔うための行事ではない。だから、いまだに線香もあげていないし、手をあわせてもいない。罰当たりだとか、親不孝だとか言われようと、慣習だからという理由で実感のともなわない行為はしたくない。

そんなだから、そのあとで起こった出来事は不意打ちだった。実家から自分の家に引き上げて、お腹が空いたので再びでかけて、近所のファミリーレストランに行った。ひとりでご飯を食べながら、死んだ親父のことが思いだされた。今日見た仏壇の光景も浮かんだ。

それでふと、こんなふうにtweetした。

お盆、うらぼんえ、親父の新盆、親父は帰って来たんだろうか?

それは答えの出ている自問自答だった。親父は帰ってきてなんかない。死んでからまだ半年しか経っていない。帰ってくるとしたら10年後くらいなんじゃないか。そんな風に思っていた。だから、そのtweetのあとで、こんな風につぶやくつもりだった。きっと帰ってきていないだろう。だからオレは線香をあげないし、手をあわせたりもしない。

実際には上記の意味合いのようなことをつぶやこうと思っていたのであって、どんな言葉使いでどんなセンテンスになるのかはまだ決めていなかった。それを考えていた矢先に、間髪入れずに入った茂木さんからのtweetで不意打ちを食らった。

君がそう想った瞬間に帰ってきたよ。@melonsode お盆、うらぼんえ、親父の新盆、親父は帰って来たんだろうか。

そのtweetをみた途端に、頭のなかの水門がいくつも開いて、100種類ぐらいの感情が滝のように心に流れ込んできたのだった。「なんで死んじまったんだ、なんで死んじまったんだ」と返事のない問いを繰り返したお葬式の当時に、心がタイムスリップしたみたいだった、そうして濃密なこの6か月間の出来事のフラッシュバック。

親父はそうか、帰ってきているのか。そうなのかも知れない。だったら声ぐらいかけろよ!どこに隠れているんだよ!親父が死んでからあったことを、全部ぶつけてやりたかった。それで、なんでもいいから、親父に何か言って欲しかった。できることなら、「よくやった」って言ってほしい…。ファミレスで涙を流す変な客になってしまった。

線香をあげるのも、手をあわせるのも、チーンと鐘を鳴らすのも、やはりリアリティを感じられない。でも、この時期に死者が帰ってくるということは、信じてみてもいいと思った。