第115回:「人間の愚かさ」

大江健三郎さんがしばしば取り上げておられるミラン・クンデラという方の言葉なのですが、「愚かさというのは、じつは何に対しても答えを出しているということにある」と。

愚かさということについて私たちは、あの人は何も知らない人だ、愚かな人だと、こういう言い方をいたします。答えをもっていないのが愚かさだと。

ところがミラン・クンデラという人はそうではない、答えをもっていることが愚かなのだと。何に対しても答えをもっている。どこかでわかったことにしている。仏教とか宗教についても、やっぱりどこかでわかったことにしていることがあります。

仏教で無明(むみょう)というのが同じ意味です。無明ということも実はわかったことにしている暗さであると。それはもう心を開かない。心を開いてほんとうに聞き直すということをしない。そういう問題がいろんな面で私たちの生活を覆っているのではないでしょうか。
『悪人正機』(宮城 顗)より抜粋

明順寺住職:齋藤明聖