『涅槃経』に「貧女宝蔵(びんにょほうぞう)」の喩(たとえ)があります。
一人の貧しい女性とその家族がいました。貧しさゆえ、つらく悲しい暮らしをしていました。絶望的でさえあるほどでした。あるとき、一人の旅人がやってきて、その女性の家の庭に黄金が埋蔵されていることを知らせます。思ってもいないことでした。富を得て、大いに喜び感謝したに違いありません。
この喩の貧しい女性とは、他ならぬ私たち「凡夫(ぼんぶ)」を意味します。黄金は、衆生(しゅじょう)の「仏性(ぶっしょう)」をあらわしたものです。旅人とは、いうまでもなく釈尊です。
みずから仏の本性を具えていながら、そのことを知ろうともせず、それでよいと思い込んでいる私たちのあり方の誤りと愚かさを教えているのです。衆生はなぜ仏性を見ることができないのでしょうか。『涅槃経』には、煩悩に覆われているからだと解き明かされています。
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明順寺住職:釋明聖