だいぶ以前になりますが、東京教区の「ネットワーク9」に、このような記事が掲載されていました。
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学校の先生が「君たち、間にあう(役に立つ)人間になりなさい」と。その子はそれを聞いて家に帰ってみると、みんな働きに出ているのに、おばあちゃんだけが日の当たる縁側でこっくりこっくりと居眠りをしている。
おばあちゃんは、間にあっていないのではないかと、その子は「おばあちゃんは死んでしまうの?」と聞いたそうです。
おばあちゃんは、それを聞いて、孫を連れて「お内仏」の前に座らせ「いいかい阿弥陀さまは、間にあう人間も、間にあわない人間もいていいのだと言われている。学校の先生の話も大事だけど、阿弥陀さまの話もよく聞きなさい」と。
現在、その子は大きくなって僧侶になるための道を歩んでいるのだそうです。
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現代社会には、役に立つ者、立たない者という分断が広がっています。役に立つ者はいいけれど、役に立たない者は要らない。
その役に立たない者の中に、社会的弱者、すなわちお年寄り、障害を持つ人、もっと言えば、亡くなった方々も含まれているのです。
死んでしまったら終わりだ、生きていることだけが価値があることだ。死は人生の最大の挫折だと。そういう風潮が感じられます。
仏教は「慈悲」と「共生」の思想だと世界から評価されています。それは生きている人間だけではなく、亡くなった人とも共に生きていくという教えです。
仏教がすすめてきた先祖供養は、実は、いま社会が必要としている「共生の思想」の礎になっているのです。
明順寺住職:齋藤明聖