コロナ感染拡大が続くなか、長い自粛生活を余儀なくされ、生命、生活への不安のなかで、さぞお疲れのこととお察し申しげます。
こうしたストレスを克服していくために、一度、心のチャンネルを換えてみてはいかがでしょうか…。「感謝」です。
本願寺八代の蓮如上人は、1492年78歳のとき疫病が蔓延したなかで門弟にむけてお手紙(御文)を綴っています。
大胆に意訳してみました。
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疫癘(えきれい)の御文(おふみ)
近ごろ、たくさんの人が伝染病にかかって命を落としています。しかし、人間というものは、 伝染病にかかって初めて死んでいくものではありません。
人間は生まれたときから必ず死んでいく命を生きているのであり、それが定めというものなのです。
そうとは言え、今このときに、このように多くの人が亡くなりますと、きっと伝染病によって人間は死ぬのだというように人は思うものです。これは、もっともなことであります。
阿弥陀さまは、「末世の凡夫、罪業の私たち、罪はどれほど深くとも、我を一心にたのむ衆生を、かならずすくうぞ」と仰せられました。
このようなときこそ、いよいよ阿弥陀さまを深くたのんで、極楽浄土にうまれかわることができると思いとって、一向一心に阿弥陀さまを尊び、疑うこころを露(つゆ)塵(ちり)ほども持つべきものではありません。
このように心得たうえには、寝ても覚めても南無阿弥陀仏、なむあみだぶつと称えるお念仏は、私たちを必ずすくい摂ってくださる御ありがたさ、御うれしさを申し上げる 御礼のこころなのです。
これをすなわち仏恩報謝(ぶっとんほうしゃ)の念仏というのです。
あなかしこ、あなか しこ。