少し前ですが、新聞にある投稿がなされていました。お葬式にお寺さんにお経をあげてもらったが、お経の意味がちっともわからない…。
それについて、別の人から回答が寄せられており、だいたい次の3つに集約できるものでした。1.わからないというのであれば、自分で勉強したら良い。2.僧侶が、もっとわかるように説明すべきである。3.わからないから有難いんだ。
なかなか興味深いやりとりですね。私は3のわからないから有難いんだという答えに関心をもちました。
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日ごろ私たちは、頭をぐるぐる回転させて、思考の連続のなかで生活しています。気がつけば、筋肉も緊張して、体もこわばってしまっていることもたくさんあります。
そうした頭と体を解放して呼吸を整えて、静かな時間を持つことがいかに大切か…。座禅の極意は「骨で坐る」ことだと言われる意味がここにあるのでしょう。
ちなみに弓道の人に聞くと、「弓は骨で引く」のだそうです。筋肉ではないのです。
お経のあがる時間も同じです。日常の延長で左脳を働かせ思慮分別するのではなく、右脳を働かせて全身で感じ取っていただく。
昔から言いますね。仏法は毛穴で聞くと…。そういう意味で、お経のあがる時間は瞑想の一形態だと言えるのではないでしょうか。
お経の勉強は、ぜひ別の機会にしてくださいね。
明順寺住職:齋藤明聖