第57回:「東京2組お待ち受け大会“大会宣言”」

2010年10月3日、浅草ビューホテルを会場に「東京2組宗祖親鸞聖人750回御遠忌お待ち受け大会」が開催され、そこでの“大会宣言”をここに転載しておきます。御遠忌を迎えるにあたっての大切な心構えを知ることができます。

“大会宣言”

宗祖親鸞聖人750回御遠忌に向けて、御遠忌テーマ「今、いのちがあなたを生きている」が発信され、「人生を貫く真のよりどころ」とは何かと問いかけられてきました。
私たちは、このテーマを本願が南無阿弥陀仏と言葉になって呼びかける「浄土」からのメッセージとして確かめながら歩んできました。

人は生まれた時から、自ら選ぶことのできない境遇に投げ出され、苦の現実に遭い、そしていの ち終えていく存在です。ですから、私たちはまさしく「生老病死」の身の事実を生きているのです。その身のままに、何を願い、何を願われて生きているのかを 問われ続けていながら、迷い続ける愚かな凡夫でしかありません。しかし、そんな私たち人間を深く見つめ、私たちが見失っている心の奥底にある本当の願い (本願)を見抜き、「その願いに目覚めよ」と呼びかけ続けてきたのが仏教、本願の教えであり、その呼びかけを、生活を通して証してくださったのが宗祖親鸞 聖人でした。

そのことに気づかされた時、個人の思いを超えた本願の歴史の中に、この私も摂め取っていただ いていた事実にただひたすら頭が下がる他ありません。如来(教え)が深い悲しみを持ってこの私たちを見つめくださっていたのです。どんな状況におかれよう とも、かけがえのない存在として人生を生き抜く道が今、ここにあたえられていたのです。だからこそ、私たちは安心して迷いながら生きていくことができるの ではないでしょうか。

そんな私たちが「御遠忌」という遇いがたきご縁に遇い、お寺に集い共に学び合う場をいただいたことに、今更ながら「縁に遇う」ということの尊さを身にしみて感じています。
「お待ち受け」とは、御遠忌の準備期間ではなく、まさしく本番だったのです。「生まれた意義と生きる喜びを見つけよう」と如来が待っていてくださっていた のです。私たちはすでに待たれた存在であり、願われた存在だったのです。

ただし、仏教や宗祖親鸞聖人の教えを、絶対的に正しい答えとして受け取り、我がものにしてし まうならば、そこに閉鎖性が生じ、「共」なる世界を断絶させてしまいます。それは現実の問題からの問いかけを聞き取ろうとしない傲慢な姿勢につながるから です。実は、そういう危険性に落ち込みやすいのが凡夫たる人間であることすらも見抜き、自覚していた方こそが宗祖親鸞聖人でありました。教えは常に向こう から、つまり如来の本願力回向としていただくのです。だから苦悩の身に響くのであり、うなずかされ、頭がさがるのです。仏法を我がものにしてはならないの です。ですから常に現実と真向かいになりながら、人とのふれあいを大切にしつつ、そこから教えを受け取っていきたいと思います。

子どもからお年寄りまでが孤独、不安、むなしさを感じ「生きづらさ」を抱えるこの現代社会に おいて、生老病死といういのちの厳粛な事実を受け止めつつ、教えにたずねる(聞法)歩みを続けていきたいと決意し、次のことを阿弥陀如来の御尊前と宗祖親 鸞聖人の御影前で宣言いたします。

  1. 苦悩の現実と真向かいになって、何を願い、何を願われているのかという人間の抱える根本的な課題を顕かにしていきます。
  2. 「愚かな凡夫」であるという共通の大地に立って、御同朋御同行として、あらゆる人々と共に生きていきます。
  3. お寺が開かれた場となるよう、「誰もが集えるお寺作り」を創造していきます。

真宗大谷派東京教区東京2組