明順寺「盂蘭盆会法要&新盆法要」

明順寺「盂蘭盆会法要&新盆法要」

「盂蘭盆会法要」は夏時間を採用して午前10時の開式、「新盆法要」はお勤めの方に配慮して午後6時からの開催としました。今年からの試みです。午後から大雨との予報のなかでしたが、幸いひどい雨にもならず、両法要とも大勢のかたがご参詣くださいました。

「盂蘭盆会法要」は、「みほとけにいだかれて」が流れるなか出仕。直登壇して、焼香・三帰依文・表白・阿弥陀経・短念仏・回向。阿弥陀経中に皆さまにお焼香していただきました。下高座して、正信偈・同朋奉讃のおつとめ。皆さまとともに唱和しました。

法話は、真宗大谷派東京宗務出張所で開教寺院支援の役割を担う清谷さんに、盂蘭盆会の意味、 目連尊者の母が陥っていたという「餓鬼道」についてお話いただきました。あってもなくても、もっと欲しいと自己破産していく現代人の有りようを譬えに、自 己破たん、自己崩壊していく…というお話に、人間の(私の)貪欲な姿を思い知らされました。身の丈ほどの長い箸を与えられた人間はその箸では食べられませ ん。お互いに食べさせあえば食べることができます。そんな比喩も印象的でした。

「新盆法要」の次第は、お盆法要と同じですが、少し照明を落としてお焼香卓に6個のキャンド ルを灯し、夜の法要の雰囲気を演出しました。法話は私が担当しました。現代のさまざまな世相をみていると、人びとが「人間はどう生き、そしてどう死んでい くべきなのか」ということを心の奥底で求め始めているように思います。葬儀も簡略化が進んでいますが、経済的な側面、人間の都合だけを優先すると大事なこ とを見失いかねません。人間は、死を都合の悪いこととして覆い隠して生きているのが日常だからです。人の死をどう受けとめ、そして自分の生をどのように受 けとめていくかを考える機縁として、葬儀を執り行って欲しいと思います。

明順寺住職:齋藤明聖

明順寺「盂蘭盆会法要&新盆法要」