東京教区「聖典学習会」

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同朋大学名誉教授・池田勇諦先生による「教行信証に学ぶ」講座2回目です。

『教行信証』はいかなる立場から書かれたのか?これが今回のテーマです。池田先生~『教行信証』には撰号(著者)として「愚禿釈親鸞集」とあります。 「集」とは無私ということです。「釈」とはお釈迦さまの弟子ということですが、この末法の世における真の「釈」の意味はなにかと問うたときに「愚禿」とい う名のりが打ちだされたのです。

有名な言葉ですが「非僧非俗」これが愚禿釈の中身です。僧という官位は剥奪されたが、藤井善信という罪名も拒否する。出家主義に非ず、在家主義にも非ず。 持戒に非ず、破戒にも非ず、「無戒」という。法然上人は「無戒」を自我の立場でみてしまうことを注意しています。

「無戒」とは持戒・破戒という人間の立場 の延長にあるものではありません。異質なものです。仏道とは自我の努力によって決定するものではなく、仏からの行によってなりたつものです…。(趣意)

次回は2月29日(金)13:00~17:00於、真宗会館(練馬区谷原)です。

明順寺住職:齋藤明聖

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