「私が生きているのではなかった。生かされている私であった」という、いのちへの目覚め、これがお釈迦さまのお覚りです。難しいことではありません。
しかしどうでしょう。「生かされているいのち尊し」という、いのちの真実に出遇えば出遇うほど、そのように生きていない自分が見えてくるのです。そこが問題なのです。
「私が生きている。私の人生は私の責任で生きている。いのちの責任は私がとる」。これは近代の理性主義の考え方ですね。自我の束縛というのでしょう。
「仏智に照らされて、初めて愚鈍の身と知らされる」という言葉がありますが、これが仏教の基本です。だから修行するのです。
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真宗教団連合40周年・記念講演「あなたは仏様になりたいですか」小川一乗先生(要旨)