第7回:「韓国に出張~放下着~」

韓国レポートNo.2

韓国の「海印寺」に参詣しますと「放下着」と書いてあります。なにも本当に下着を脱げと言っているのではありません。

日本の禅宗にも似たような表現があり ます。禅堂に入るときに「裸になってきたか?」と問いただされるのだそうです。

茶碗を空にする譬えがあります。教えを聞こうと思っても、いっぱいの茶碗に お茶は入らないように、身勝手な意見や先入観でいっぱいであると教えは学べない。茶碗を空にすることが大事だというのです。

インドの龍樹菩薩は、「声聞」「独覚」になってはいけないと教えられました。本願寺八代の蓮如上人の言葉でいえば「耳慣れすずめになってはいけない」、「人は法を得てに聞くなり」ということでありましょう。

中国の善導大師は、仏教は鏡のようなものであると教示されました。自分の心をありのままに照らし出してくれるものだということです。

これをまた蓮如上人の言葉でいえば「人の欠点はよく見えるけれども、自分の欠点は気がつきにくい。もしこれが自分の欠点だと気づくことがあれば、それは余 程の欠点だと思って心を改めなくてはいけない」となります。

茶碗を空にしておくことは、教わるものすべてに虚心坦懐に耳を傾けることでありましょう。先入観のない人は、すべてが新鮮であり驚きであります。多くのものが学べるに違いありません。(注意:蓮如上人の言葉は意訳です)

明順寺住職:齋藤明聖