盂蘭盆会法要つとまる

2023年7月15日、午前10時より「盂蘭盆会法要」が、翌日の16日には「新盆法要」が執行されました。

コロナ感染がいささか落ち着きをみせるなか、15日には40名以上が、16日には60名以上がご参詣になられました。満堂の賑わいです。

法要の次第も以前の形にもどし、住職直登壇・焼香・三帰依文・表白・『仏説阿弥陀経』・短念仏・回向・下高座して『正信偈』同朋奉讃の次第です。

酷暑の中でしたが、賑々しく大勢がお越しくださいました。

盂蘭盆会について

お釈迦さまの弟子の中で神通力第一といわれる目連尊者が、亡くなったお母さまをながめてみたところ、餓鬼道におちて木に逆さまにつるされたような苦しみを味わっていた。目連は、お釈迦さまに救いを求めました。

お釈迦さまは「おまえの母は、おまえにはこの上もなく優しい母であったが、他人に対しては施しをすることも恵むこともしなかった。その罪は重く、目連ひとりの力ではとうてい救うことはできない。目連よ、7月15日の僧が一室にこもって修行する最終の日に、すべての僧、仏弟子たちに、食事から香油、寝具にいたるまですべてのものを供えて供養しなさい。そうすれば、大勢の僧の力によって母を救えるであろう」とすすめました。

わが子を育てることによって、餓鬼道におちてしまった母。そこで「お盆」は、先祖や両親の恩を知り、感謝して、供養や孝養を尽くす行事となって絶えることなく続けられているのです。

しかし、同朋大学の元学長である池田勇諦先生はこういいます。逆さまだったのは母ではない。目連が逆さまだった。目連が逆さまだったから母が逆さまに見えた。目連が仏さまの教えと逆さまの生き方をしていた。親の恩を忘れ、施す心を忘れていた。このことをお釈迦さまに教えられて、目連が救われ、母が救われた。これが本当のところだ。

なるほど、そうですね。私たちは、仏さまと逆さまな生き方をしているのですね。

煩悩に眼、障えられて怨(うら)み、嫉(そね)み、嫉(ねた)み、すべてを人のせいにして自分を正当化し、自分を主張することばかりに一生懸命で、自分の頭で考えることがすべてだと思って生きています。

人類の歴史をみてもそうですね。幾度となく戦争を繰り返してきましたが、戦争したくてしてきたわけではなく、平和を求めて戦争をする。自分が正義であることを主張して戦争してしまう。

そこに人間が共に持つ業、仏さまのありようとは根本的に違う愚かさがあるように思えます。こういうことを知らされると、もう南無阿弥陀仏しかないですね、頭がさがります。

2007年4月23日HP掲載記事