2024年明順寺「報恩講」講演録

2024年12月8日(日)

明順寺報恩講 「このことひとつ」

江東区 光明寺住職 小林尚樹師

初めに、三帰依文をご一緒にご唱和いただきたいと思います。

~三帰依文~

小林と申します。よろしくお願いいたします。東京都江東区にある光明寺というお寺をお預かりしております。昨年も報恩講に寄せていただきました。ようこそ御参詣をいただきまして、ありがとうございます。

親鸞聖人の御命日の11月28日は、本山でも報恩講が勤まります。その時期を合わせて、末寺でも勤まります。自坊(光明寺)では、11月の第2の日曜日ですね。約一か月前に勤めました。

親鸞聖人を思い、日頃の私たちの生活を見つめ直していくという。報恩は、恩に報いると書きます。親鸞聖人、それから御本尊に対して、私たちの生活の中から一人ずつ御恩を感じ取っていただければと思いながら、お話をさせていただきます。

お配りしたプリントにありますように、「このことひとつ」というお話をしようと思います。仏教、御経も沢山ありますし、宗派も分かれています。僕たちは親鸞聖人の教えを聞くものになっていますけれども、その中でも親鸞聖人は大切なことを僕たちに伝えてくださったのではないかと思うのですね。

お配りした資料ですね。中川皓三郎師の年賀状とあります。師とありますけれども、僕にとっては大切な先生でした。もう34年前になりますけれども、僕が僧侶の資格をいただくために、京都の大谷專修学院という学校に行きまして。一年間の全寮制で、教えや仏事の行儀作法を学ぶ学校なのですけれども、そこで出遇った先生でした。

中川先生という方は、大谷專修学院の建物で御家族も一緒に生活しておられました。元々は、いわゆるお寺の生まれではない方でした。なので、自分の人生の中から浄土真宗という教えを選び取っていかれた方です。そうなるには、先生なりの人生の葛藤や迷い悩みがあったのだと思います。

よく先生は、「本当に生きたい」とおっしゃっていました。中川先生は普通に生活していて、会社勤めもしていた御門徒さんです。その方が悩みや挫折、苦しみを抱えながら生きてきて、それはどうも、自分は本当のいのちを生きていないと。これは本当ではないとこう思っていらしたそうです。自分が生きていることが、本当ではないと感じる。本当というのは一体何だろうということが、ずっと中川先生の問いだった。そのことを求めて、中川先生は大谷專修学院に、仕事を辞めて来られたのだそうです。

大谷專修学院を卒業して、先生に年賀状を出したのです。そうしたら年賀状のやりとりが返ってきて、それからはずっと元日に届くよう出してくださるようになりました。中川先生はその後、大谷大学にも行かれましたし、晩年北海道のほうでは短期大学の学長もされたので、沢山の教え子がいらっしゃったと思うのです。実はこの年賀状の言葉が、毎年同じなのです。それがこの

汝、無量寿に帰れ!無量寿に帰って、無量寿を生きよ!(信國淳)

という言葉でした。教え子が沢山いるでしょうし、毎年言葉を変えて作るのは大変だろうなと思いましてね、やむを得ないかなと、そんな感じで受け取っていました。

中川先生は2020年の10月に亡くなったので、当然、2021年の年賀状が来ないわけです。その時に、僕はようやく、本当にようやく、專修学院を卒業して30年経って、気付いたのです。それは、つまりこの毎年、同じ言葉を、繰り返し教え子に、「このことひとつ」を伝え続けてくださったのだなと、はっとしたわけです。

この言葉の最後に、信國淳(のぶくにあつし)という名前が書いてあります。信國淳先生というのは、当時中川先生が最初に專修学院に行ったときの学院長先生です。つまり中川先生は、自分が自分の先生から聞いた大切な言葉を、同じように僕たちに、自分の出遇った先生の大切な言葉だという形で、繰り返し僕たちに言い伝えてくださったのです。

教えの言葉は沢山ありますけれども、でも中川先生にとっては「このことひとつ」だと。つまり本当に生きたいと、そういう願いをもって、教えを学ばれた中川先生が、信國先生から教えられたのは、無量寿を生きるということだと。

無量寿とは、量ることができないいのちですけれども。皆さんが聞き馴染みがあるのは、「正信偈」ですね。「帰命無量寿如来 南無不可思議光」その初めの二行です。「正信偈」というのは、親鸞聖人が書かれた頌(うた)ですね。仏教のどこに感動して、何を僕たちに伝えて残したかったか。御念仏してほしいと書いてあるのですけど。『教行信証』という親鸞聖人の著作に収められています。『教行信証』の行巻です。行というのは念仏です。御念仏を顕かにしようというお気持ちで書かれたところに添えられている頌なのですね。

その初めの書き出しですね。それが「帰命無量寿如来 南無不可思議光」。南無というのは帰命だと。帰命とか帰依とか。つまり帰依する、自分のいのちをお任せすると。この無量寿が阿弥陀という仏様の意味ですね。量ることができないいのちです。無量のいのち。それと不可思議光。僕たちの思い、考えをはるかに超えた光だと。つまりいのちと光というのが阿弥陀仏という仏様の意味だと。

そこに帰れと言っているわけです、信國先生は。それを中川先生は、本当に生きるということだと。つまり阿弥陀仏のいのちを、阿弥陀仏をこの私として生きていくと。無量寿に帰れと。それは、本当、本来に帰っていくということですね。

「正信偈」に出てくる善導という方がおられます。中国のお坊さんで、唐という、仏教が盛んだった時代の方です。「正信偈」では「善導獨明仏正意」と、こんな言葉があります。

帰去来(いざいなん)、他郷には停まるべからず。仏に従いて本家に帰せよ。

帰去来という字がありますけれども、これは、さあ帰ろうという意味です。他郷とは、本来自分たちがいるべき場所ではないところです。そこに停まっていてはならないと。仏の教えに従って、本当の居場所に帰るのだと。こういう言葉なのですよね。

それは、本当というところに私たちは戻っていくのだと。立ち帰っていくのだと。本当ではない今の在り方を見つめ直して、本当でありたいと、こういう思いでもって、そこへ帰っていこうと。仏に従いてですから、仏の教えによって、本当ということを取り返していこうということですね。

だから、信國先生は、本当と。南無阿弥陀仏というお念仏に帰って、そのお念仏を生きよと。それを中川先生は、ご自分の問いに応えてくださる言葉として聞き取ったのですよね。だからそのことを、自分が出遇った言葉を、僕たち教え子にも繰り返し、「このことひとつ」を伝えてくださったのだなと、そんなことを思ったのです。

「このことひとつ」ということですけれども、親鸞聖人の『唯信鈔文意』というお聖教に、この唯という字は、

「唯」は、ただこのことひとつという。ふたつならぶことをきらうことばなり。また「唯」は、ひとりというこころなり。

とこうおっしゃるのですね。あれかこれかではないということです。この唯という字は、選ぶということではないのだと。このことひとつです。唯一というのはもう選びようがないということです。そしてひとり。比べることのないひとりだと。かけがえのないいのちですよね。誰とも比べられないいのちだと。そう思っていると、親鸞聖人という方は、「このことひとつ」ということを繰り返し僕たちに伝えてくださっているなということを、改めて思います。

親鸞聖人が書かれた「正信偈」というのは、大きく分けると前半と後半に分かれていて、前半は、『無量寿経』という御経です。真実の教えですね。真の経典は『無量寿経』だと。正しく依るべき経典です。その経典のことが、「正信偈」の前半で説かれます。阿弥陀仏の本願や念仏ですね。後半は、それと同じように、親鸞聖人が大事にされた七高僧。インド、中国、日本の三国に渡った高僧の言葉をまとめておられます。

その後半部分に、「唯」という字が沢山出てきます。

まず龍樹。龍樹という方は、大乗仏教の祖と言われます。大乗というのは大きな乗り物ですから、みんなで一緒に救われていこうという教えを説かれました。「唯能常称如来号」。これは、ただよく、常に如来の号を称してと。龍樹は、ただ、お念仏をしていたというのですよ。阿弥陀如来のお名前を称えていた。つまり南無阿弥陀仏です。龍樹は、ただ私たちに阿弥陀仏の名前を称えることを勧めていると。それを、「このことひとつ」だと。親鸞聖人にとって龍樹という方は、お念仏を勧めておられると受け取っていかれるのです。

天親は唯がないですけれども、これは著作の中で「世尊我一心」という言葉がありますから、一つのこころでということですね。

曇鸞は、「正定之因唯信心」。正定の因はただ信心なり。正定というのは、浄土に往生することが定まった身を正定といいます。それには、ただ信心だと。信心が大事だということを親鸞聖人は受け取っていかれるわけです。

道綽は、「唯明浄土可通入」。ただ浄土の通入すべきことを明かすと。そこにたどり着くためにはお念仏。ただそのことを伝えてくださったと。

善導も唯がありませんけれども、独明という、独りということがあります。「善導獨明仏正意」、善導独り、仏の正意を明かせりと。仏様の本当のおこころを明かしてくださったのは善導独りだと。こう親鸞聖人は受け取るわけです。

源信は、「極重悪人唯称仏」。極重の悪人は、ただ仏を称すべし。悪人と言われるものは、ただお念仏をするのみだと。こういうことですね。

源空は、法然上人のことですけれども、ただ念仏ということを聞き取っていかれる。

そして最後の一行。「唯可信斯高僧説」で終わりますよね。ただこの高僧の説を信ずべしと。自分の思いだけではなく、こういう七人の高僧も、これが大事だとおっしゃっておると。だから最後に、ただこの高僧の説を信ずべしと。親鸞聖人ご自身はですね、ただこの高僧の伝えてくださったことを信じるのみだと。こういうふうに「正信偈」を締めくくっているのですね。この中で親鸞聖人は法然上人と出遇っているわけですね。直接の師匠です。『歎異抄』では、こんな物語が書かれています。

親鸞聖人は60歳半ばで関東から京都に帰られ、80歳を超え、関東の門弟たちが、親鸞聖人のところを尋ねにいきました。茨城から京都まで命懸けで歩いて行って、親鸞聖人に聞きたかったことがあるというのです。

その親鸞聖人は門弟たちを前にして、あなたがたが命懸けでここまで来たのは、きっと往生極楽の道を尋ねてきたのでしょうと。その背景は、親鸞聖人が京都に行かれてから、関東で混乱があったわけですよ。親鸞聖人の教えについて、了解が分かれ、迷ってしまったのですね。

そこには大きくきっかけがあって、一つは日蓮が辻説法をしながら、念仏は地獄に落ちると言ったそうです。念仏は無間地獄に落ちると。念仏は浄土に往生できる行だと、そう聞いているのに、地獄に落ちるなんてとんでもない。どうしようとなりますよね。

その混乱を収める為に親鸞聖人は息子を関東に遣わせたのですが、そこで息子さんは嘘を付いてしまうのですね。あなた方が聞いたことは不十分だと。肝心要なところは、僕がお父さんから聞いている。阿弥陀仏の本願の他に方法があると、こう言ってしまったのです。そうするとね、じゃあ自分たちは一体何をしてきたのかと、お念仏ということに対して疑いが出てきてしまったのですね。

そんなこともあって、直接命懸けで親鸞聖人に聞きに来た。それを親鸞聖人は知っていますので、恐らくあなたたちが命懸けで来たのは、往生の道を尋ねてきたのでしょうと。だけど、そういう答えを求めるような形で来たのであれば、奈良とか比叡山に行って、学者や偉いお坊さんに聞いたらいいというのですよ。そして次に親鸞聖人は自分のことをいうわけです。

親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。念仏は、まことに浄土にうまるるたねにてやはんべるらん、また、地獄におつべき業にてやはんべるらん。総じてもって存知せざるなり。たとい、法然聖人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう。

つまり、門弟たちは迷っているわけです。だけど親鸞聖人は、親鸞においては、ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべしと、法然聖人から聞いているので、この言葉を信じるほかに別の理由はないと。こうはっきりと言い切るわけです。なのにあなたたちは何を迷っているのかと。「このことひとつ」だというわけですよ。なのに、迷ってきている門弟たちは、念仏したら地獄に落ちるのか、浄土に往くのかと。そんなことは存知せざるなりと。

親鸞聖人は知らないわけではないですよ。むしろ確信があるからです。自分は法然聖人からこう聞いているから、このことをずっと信じてきた。それ以外に理由はないということですよ。念仏して阿弥陀仏にたすけられよと。阿弥陀仏の本願によってたすけられていく身になると。それは間違いないということです。

だからその後、法然聖人にすかされまいらせて。騙されて地獄に落ちても、後悔しないと。何故そこまで自信を持って言えるかというかというと、親鸞聖人が出遇っているからです。法然聖人と。つまり、お念仏の教えに生きた人と目の前で出遇っているからです。そのことを生きる人は、こういう人生を生きる人なのだと。こういういのちを生きる人なのだと。そのことを親鸞聖人は見ていたわけです、目の前で。法然聖人をみれば、お念仏して生きるということが、どういう姿をもって生きることか。もしくはどんな人生を生きているのかということを、目の前でご覧になった。それはですね、生きた教えに出遇ったということです。

つまり教えがどこにあるかといえば、経典とか書いた文字ではなくて、生きる人の上に教えがあるわけです。だからお念仏するということがどういうことだろうと。南無阿弥陀仏とはどんなことかなと。それは法然聖人を見れば明らかなわけですよ。お念仏して生きるという人は、こういうことなのだと。自分もこう生きたいと思えば、そのように親鸞聖人も生きるわけです。法然聖人はただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、そうおっしゃるわけです。これこそが本当にこの教えを生きた人だと。この法然聖人の上に、お念仏の教えをありありと感じ取るわけですよ。経典に書いてあることは間違いないと。だって法然聖人はそう生きている。それが親鸞聖人にとってはもう「このことひとつ」だと。もうこれでいいということも親鸞聖人のご信心ですよね。だから、そこに迷いはないわけです。

つまりそれは中川先生が、信國先生に出遇って、この無量寿を生きるということはどういうことか、本当に生きるとはどういうことかといったら、それは信國先生のように生きるということですよ。お念仏を生きている人というのは、こういう人なのだと。私もこんなふうに生きたいなと思えば、その人が大事にしている言葉を、自分も「このことひとつ」として受け取るわけですよね。そして、教え子たちには、最後は「このことひとつ」ですと、年賀状にしたためるように、僕たちに繰り返し、無量寿を生きよと伝えてくださった。

親鸞聖人がこの「正信偈」の中で、七人の高僧の著作から、「このことひとつ」を受け取っていく。その人と直接会ってはいませんけれども、著作や教えの言葉を見る中で、このように生きた方は、やっぱりお念仏に生きたに違いないと。そう受け取っていくのですよ。

だから今、御経の言葉、教えが、人を通して伝わってきたのだと。人の上に生きた教えとして伝わってきた。この七人の高僧の中に、受け継がれてきたものがあると。それを自分は、法然聖人と出遇って、ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、こう聞き取った。「このことひとつ」を自分は生きようと。そういうことが大切なことではないかと思うのですね。

最後に、これは親鸞聖人と法然上人の出遇いをお話しようとしたのですけれども、これは法然上人と出遇ったときに、親鸞聖人は比叡山に20年間いらっしゃいましたので、修行をしたり、経典の解釈を聞いたりして学んだと思います。ですがそれでは迷いが晴れずに、法然上人のもとを訪ねるわけです。その瞬間に、僕は「このことひとつ」を聞き取ったのだろうと思うのですね。ここで出遇って、仏の教えを生きる人は、こういう生き方をする人なのだと。それで比叡山からおりて、法然上人のところで教えを聞く身となったわけです。そこで人を通して、生きた教えを聞き取っていかれた。親鸞聖人の御生涯を貫く大切な言葉があったのだろうなと思うのですね。

これは僕にとっては、どういう言葉がいいのかなと。僕はどういう言葉と出遇ってきたかということは、どういう人に出遇ったかということなのでしょうね。だからやっぱり師を求める、師を持つということは大事なことです。それは大切な教えを生きた方、その人の上に生きた教えを感じ取って、この先生の話を聞こうと。生きた教えを聞き取っていくということですね。

御経は、「如是我聞」という言葉から始まります。是くの如き、我聞きたまえきという。私はこのように聞きましたという意味です。仏陀がいた2500年前は文字がありませんので、亡くなってしばらくしてから文字にしたわけですよね。それまでは、聞き伝えなのですよ。口で語ったことを聞いて、誰かにまた伝えるという。だから私はこう聞いたというのが仏教の教えの歴史、伝統、伝承ですね。それはつまり、人の上に生きた教えを、人を通して伝わってきたということでしょうね。それを親鸞聖人が法然上人から受け取ったように、中川先生も、大事なことを受け取って、そのことを僕たちに伝えてくださった。そんなことを思うわけです。

親鸞聖人は、お念仏ということが大事なことだと、繰り返し僕たちに伝えてくださったので、そのことを受け取った僕たちは、さあどう生きるかという。僕たちの問題でしょうね。そこから自分は、一体どんな言葉に出遇って、どんな人に出遇って、そのことを大切なこととして生きていくことができるかで、大切な歩みに繋がっていくのだろうと思います。

そのことが、僕たちは報恩講という形で、親鸞聖人の御生涯、言葉、教えに触れて、自分の人生ということに、もう一回向き合っていく、大切な御縁をいただいているなということを思います。最後までありがとうございました。(文責:齋藤瑶子)