報恩講での廣瀬 惺先生「講演録」

去る12月8日、明順寺「報恩講」にて廣瀬 惺先生にご法話をたまわりました。その講演録を掲載しておきます。

二〇一九年 十二月 八日 明順寺報恩講
講師:廣瀬 惺先生(大垣教区 妙輪寺住職)
講題「『御文』について」

どうも、こんにちは。失礼します。報恩講でお参りをさせていただいたわけですけれども、最初に一言お断りをさせていただきたい。と言いますのは、今、お聞きになっておって若干お分かりかなと思うのですが、実は今年の六月に声が出なくなってしまって。私は岐阜県なのですけれども、大垣市民病院という、一応地域では一番大きな病院に行って、初めは治るだろうと言われていたのですけれども、これは特殊な病気だということで。お聞きになったことはあまりないかと思うのですけれども、痙攣性発声障害という。四十前に一回なったのですよ。今年の六月に風邪を引いて喉が痛いのに、ご依頼されておったものですから、二時間近く連続で口先だけで話した。それが悪くて、明くる日全く声が出なくなった。より酷い形で再発をしまして。

それで専門のクリニックが西麻布にあるものですから、そこへ月に一、二回通って、ようやくここまで出るようになりました。ただお医者さんから、喉に力を入れないように、それからゆっくり話すように。というのは裏返っちゃうのですね、声が。私はゆっくり喋るのが一番苦手なのですよ。そんなことで少しお聞きづらいところもあるかと思うのですけれども、そこはお許しください。もしどうしても聞きづらい、これは何を言うたんやということがありましたら、またお斎がございますし、お尋ねくだされば申し上げさせていただこうかなという、そんな思いでおりますので、申し訳ありませんがよろしくお願いします。

時間が四十五分という限られた時間ですので、無駄話をしておる余裕がないのですけれども。こちらの副住職様からですね、瑶子さんから今年はご依頼をされておりまして、「御文様について話せ」と。それも特に、『白骨の御文』について。それも更に、「時間が四十五分だから、まず原文を読んで、それから意訳を読んで、そしてこの『白骨の御文』から呼びかけられておることを話しなさい」と。私はその時はそう思わなかったのですけれども、段々、ちょっとこれは難題だなという思いが致しながら新幹線に乗ってきました。いやあ、お受けした時は、「呼びかけ。うん。なんか聞こえるだろう」と思っていたのですけれども、ちょっとこれは難題だったなということを昨日の夜に気付きまして。それで「うーん」と思いながら新幹線に乗ってここまで辿り着いたようなことでございます。どこまでご要望に応えることができるかわかりませんけれども、ともかく時間までお話をさせていただこうかなと思うのであります。

それではまず原文を読ませていただきます。あまり早く読めませんものですから、力を入れられないものですから、ゆっくり読ませていただきたいと思います。ご覧ください。

『白骨の御文』(原文)
それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、おおよそはかなきものは、この世の始中終、まぼろしのごとくなる一期なり。されば、いまだ万歳の人身をうけたりという事をきかず。一生すぎやすし。いまにいたりてたれか百年の形体をたもつべきや。我やさき、人やさき、きょうともしらず、あすともしらず、おくれさきだつ人は、もとのしずく、すえの露よりもしげしといえり。

されば朝には紅顔ありて夕べには白骨となれる身なり。すでに無常の風きたりぬれば、すなわちふたつのまなこたちまちにとじ、ひとつのいきながくたえぬれば、紅顔むなしく変じて、桃李のよそおいをうしないぬるときは、六親眷属あつまりてなげきかなしめども、更にその甲斐あるべからず。さてしもあるべき事ならねばとて、野外におくりて夜半のけぶりとなしはてぬれば、ただ白骨のみぞのこれり。あわれというも中々おろかなり

されば、人間のはかなき事は、老少不定のさかいなれば、たれの人もはやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて、念仏もうすべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

この赤字に変えておりますのは、意味が原文を読んだだけではわかりづらいもので、下の意訳のところにも重ねて赤字にしてあります。そして一番下の最後の赤字の部分は、特にこの御文様で要になる大事な言葉だというところであります。それでは意訳のほうも続けて読ませていただきます。これは私が何かを参考にしながら自分なりに意訳したものであります。

(意訳)
さて、浮雲のような、定めなき人の世のありさまを、つくづく思いみますに、まことにはかないものは、始めから終わりまで、幻のようなこの世の一生であります。いまだかつて、万年の寿命を受けたという話を聞いたことはありません。一生は、過ぎやすいものであります。末代の今の時に、誰が百年の命を保つことができましょうか。自分が先になるか、人が先になるか、今日かもしれず、明日かもしれず、いずれ死にゆく人は、あたかも木の根元のしずく、葉末の露の後先よりも激しいといわれています。

まことに、朝には血潮が通う紅の顔も、夕べにはただ白骨となる身であります。ひとたび無常の風が吹けば、二つの眼はたちまちに閉じ、一つの息が永遠に絶えてしまえば、紅顔は空しく変わって、桃李のような美しい姿も消え失せてしまうのです。その時に、父母兄弟や妻子眷属が集まって、どれほど歎き悲しんだとしても、もはや、どうにもできるものではありません。そのままにして悲しんでいるわけにもいかないので、野辺に送って、夜半の煙となってしまうならば、残るものはただ白骨のみであります。悲しいというくらいでは、とても、この心をあらわすことができるものではありません。

されば、人間のはかないことは老いも若いも、どちらが先とも定めのないこの世であります。どのような人も、早く後生の一大事に心をかけて、阿弥陀仏を深くたのみ、念仏を申すべきであります。あなかしこ あなかしこ。

こういうふうな内容の御文様であります。それで私の癖なのですけれども、なんぼ副住職さんがすぐに心を話せと言われましてもですね、少しイントロさせていただいて、『御文』について、今日お話しさせていただく内容に関係あることを二点だけ申し上げさせていただきます。

今回、御文様をお話させていただく縁になりましたのは、去年こちらの報恩講が終わってから、副住職さんの前でなんか言うたらしいのですよ。私の記憶は全くないのですけれども。御文様は、非常にメッセージ力があると。パワフルだと。そういう意味では、労働しておる。生活の中にも響いてくる、非常にパワフルな表現だと。以前からそれは感じておったのですね。だからストレートに入ってくると思います。

今年になって思いましたのは、親鸞聖人、親鸞聖人と言うておるけど、僕はひょっとしたら親鸞聖人のおみのりを、自分の生活にとって意味のあるものとしては、いただけなかったのではないかなと。そんな思いが今年になってしたのですね。例えば去年お話しました、親鸞聖人のおみのりの要は信心だと。あれもね、何故言えるのか。おそらく親鸞聖人のものだけいただいておったら、それは知識としてはわかっておったとしても、生活の感覚のところで親鸞聖人のおみのりの要が信心だと。お念仏の心だと。これはね、おそらく言えなかったのではないかと。何故言えるのかと言えば、やはり『聖人一流の御文』ですわ。

聖人一流の御文
聖人一流の御勧化のおもむきは、信心をもって本とせられ候う。そのゆえは、もろもろの雑行をなげすてて、一心に弥陀に帰命すれば、不可思議の願力として、仏のかたより往生は治定せしめたまう。そのくらいを「一念発起入正定之聚」(論註意)とも釈し、そのうえの称名念仏は、如来わが往生をさだめたまいし、御恩報尽の念仏と、こころうべきなり。あなかしこ、あなかしこ。(真宗聖典 八三七頁)

聖人一流の御勧化のおもむきは、信心をもって本とせられ候う。あの一言。そういう意味で御文様の言葉は頭で理解する必要はないのでしょう。生活感覚に入ってくる。生活感覚の中に根を下ろしていく。だから信心が何なのかわけわからんでも、聖人一流の御勧化のおもむきは、信心をもって本とせられ候うと。ずっと五〇〇年間あのお言葉をいただいてきたのが真宗門徒でしょう。だから信心が何ぞやとわからんでもね、親鸞聖人のおみのりの要は信心だと、身が聞いてきた。身につけてきた。私もまだその名残ですわ。昭和二十一年生まれだから。そういう環境もあったということがあるのでしょうけれども。もし御文様がなかったら、大学で研究対象として信心を出すということは、頭で理解しておったかもわからんですけど。頭を超えて身の感覚がね、親鸞聖人のおみのりの要は信心だというところまで、自分の中に根付いていなかっただろうなと。そんなことを年の功で今年になって気付かしてもらいました。これが一つ。

それからもう一つ今日お話しさせていただこうと思うことと、特に関係のあることですけど。僕がずっと行っている床屋さんがね、「真宗の教えをいただくのに、良いものなんかないですか?」と、こう言われましてね、「御文様を毎日一通ずつ読め」と。これは非常にそういう宗教心というかな、関心を持っておられる方なものですから、十年くらい前に御文様を紹介した。そしたらその方ね、平仮名交じりの本があるでしょう。あれを買ってこられた。何故ね、僕それ紹介したかというと、僕自身がね、自分の感覚でこれ程考えなくてもいい。そして親鸞聖人のおみのりの心が、読んでおる内にいただかれてくる。そういうものはちょっとないのではないかなと思っておるのですね。

ある方がおっしゃったのですけど、蓮如上人は方便の達人だと。これ僕、蓮如上人というと思い起こす言葉。もう随分昔に出遇った。どういうことかというと、人の身になれる人だったということです。中々なれないですよ、これ。人の身になれる人。そうしますとね、室町時代でしょ。あの頃に文字なんて読める人殆どいないですよ。ごく僅か。ですから御文様というのは、聞いて、いただけるものとしてお書きになったのですよ。これは国文学者が言っていた。「御文の文章というのは独特。聞いていただける文章だと。理解なんてできっこない」って。聞いていただける文章。更に蓮如上人が聞く側に自分自身をおかれて、何回も何回も読んで、これで聞こえるというところまで推考なさって、それで表されたものが御文様だと。僕ね、こんなお聖教ないと思っていますよ。

だから理解せんでもいいと言うのですよ。読めば、聞けば、自ずとそこにその人の上に生きていく上で大事なまことが開かれてくると。だからお念仏の心が開かれてくるのだと。だから昔の人が南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と称えるでしょう。あれはね、御文様を最後に読むでしょう。その御文様が開いていったお念仏だと言うてもいいのではないかと思っていますね。だからそういう形で僕はご先祖の方々が毎朝読んだっていうのは理解ではないのですよ。読んでおるうちに聞こえてくるようになるのですよ。理解なんてしようと思って読んでいる人、いないと思いますよ。読んでいる内に御文から聞こえてくると。その聞こえてくる要が、お念仏の心が、こちらに呼び起こしてくださる。その心がこちらに応答してね、南無阿弥陀仏と。そういうものが僕は御文様。そういう意味で僕は貴重な、聞いてお心がいただかれるお聖教というのは、ちょっと稀なのではないかなと思っております。

『白骨の御文』ですけれども。これはですね、ああ、副住職さんが心配されるのわかりますね。早、本当もう二十分も経っていますもん。癖知っておるから。色々指定された気持ちが今わかった。ちょっと手遅れだったですけどね。そうしますとね、手っ取り早くいきますけど、やはり御文様というのは、どっか心に残るではないですか。それはやはり無常ということを取り上げておられる。無常を取り上げた日本の三つの文章をご存知でしょう。小中高どっかで習われておる。その一節が残っておるのではないですかね。一つは『平家物語』。

祇園精舎の鐘の声、
諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、
盛者必衰の理をあらはす。

あれも一回聞いたら忘れないのではないですかね。あとは『方丈記』でしょう。

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。

そういう意味でね、その無常というのを人間に残していくもの。響いてくるもの。深いところに何か影響を、一度聞いたら忘れさせない何かがあるのだと思いますね。しかしね、更にこの『白骨の御文』はそれだけではないのですよ。『方丈記』とか『平家物語』は諸行無常で一つの哀歓を誘います。哀切の情をね、呼び起こしてまいります。ところがね、この『御文』はそれだけでないでしょう。ちょっと違うのですよ。何が違うか。この『御文』は、愛別離苦の悲しみの中に無常を表現なさっておられるという。これがね、『平家物語』とか、『方丈記』とはちょっと違う。そういう意味で人間が抱えておる深い悩みとか悲しみのところにまで辿り着いていくような。より深さを持っておるのではないですかね。

愛別離苦。人間の最も辛いものがあるわけですね。愛する、恩愛の情というのは生きておる時のね、肉親、血の繋がっておる人に対する感情は独特ですよ。だから下手するとそこで間違うということもある。これ程に公平平等な考えを持っておられる方が、子どもの問題とか親の問題となると、そういうふうにいかなくなってくる。それが更に死別ということになれば、共に生きてきた血の繋がった人との別れ。これ程、痛切なものはないということではないですかね。ひょっとしたら自分の死は怖くなくても、そういう身近な人との死は辛いと。こういうことがある。

テレビで観たのだけど、クイズダービーの篠沢教授っていたではないですか。学習院大学の。あの人は十年ぐらい前にALS(筋萎縮性側索硬化症)という病気になられて、それで動けない中のインタビューで「どうですか?」と聞かれて、「こんな病気辛くないはずないでしょう」と言われた。そしてもう一つ言われたのがね、たしか奥さんが十年以上前に亡くなったのかな。死別ですね。その死を「自分は家内との別れ、それを十年来、肉体の痛みのように抱え続けてきた」と。こういうことをね、篠沢教授がおっしゃった。

それくらい僕は人間にとって愛別離苦、共に生きてきた特に血の繋がりのある人との別れというのはやはり痛切なものでないかなと。そのことは私たまたま住職をさせていただいたものですから、色んなご門徒の方との出会いの中でも僕自身も忘れない。すぐその方の顔が出てくるという例もございます。人間にとって一番辛い。そういうことがあってでしょうね、『白骨の御文』は独特ですよ。本当に生きておることの一番苦しみとか抱えている中に辿り着いてくるような、印象を残してくるような。そういうこと一つだけ、東京だもんですからハイカラなことを言わなきゃいかんかなと思って。それは冗談ですけど。

それで私ね、若い時に読んだもので忘れられないのは、吉本隆明。東京の方ですからおそらくご存知の方もいらっしゃるでしょう。もう九年程前かな、亡くなりました。僕ら学生の時は何冊か読んだものですよ。吉本隆明は若い時から親鸞聖人に関心を持っておる人なのですよ。それで特に四十年くらい前から『最後の親鸞』とかね。ずっと単発的に発表し続けていった人です。その縁はあの人、真宗門徒だった。おうちがね。それでお寺さんが来られた。おそらくそこのおばあさんとか親でしょうね。お勤めして、それで『白骨の御文』。これが自分に忘れられないのだと。だから親鸞聖人に対しては何の違和感もなくて、若いときから近しいものがね、どこかにあったと。それぐらい『白骨の御文』というのは深いところに辿り着く、人間の悲しみや苦しみのところに辿り着くような、そういう内容を僕は持っておる稀有な『御文』というふうに申し上げていいのではないでしょうか。

そうしますと何故ですね、そういう『御文』を表すことができたのか。こんな『御文』を表すというのはちょっとね。一つは、戦国の動乱の時代を生きられたということもあるのだけど、それ以上に蓮如上人は四人の奥さんと死別なさっております。だから五人目です。奥さん四人と死別ですわ。それから子どもさんが二十七人。これは凄いですよね。エネルギッシュですよ。それだけに逆に子どもさんとは七人の方と死別しておられる。だから妻子合わせて十一人ですよ。孫とか色々入れればキリないでしょう、これ。特に蓮如上人にとって辛かったのは妻子だろうと思います。

蓮如上人が無常を読んだ『御文』は、大体二十通余りあるのですよ。これがね、一番多いのが、六十九歳から七十歳までの一年間。私、調べたのですよ、昔ね。そしたら六十六歳から六十八歳までその間に奥さん一人と子どもさん三人亡くしておられるのですよ。その翌年が、無常の御文様が非常に多いです。そうしますとこの『白骨の御文』はいつ書かれたのかわかりませんけど、おそらく蓮如上人が身近な方を亡くした悲しみの中で白骨を前にしてね、ずっと聞き取っていかれた。そしてその聞き取っていかれた中で、言葉となった。そして蓮如上人ご自身の言葉となることによって救われていかれた。なんかそういうですね、僕は御文様の中でも特に蓮如上人の悲しみ苦しみを救っていったような、愛別離苦の悲しみ苦しみを救っていったような。そういう『御文』でないかなといただいておるわけであります。ですから最初から最後までずっと感情に響いてくるようなお言葉でしょう。またお帰りになられてお読みくださればと思うのですけどね。

それじゃあいよいよ。与えられた問題なのですけれども。お前はいかなる呼びかけを聞くのか。これがね、本当に大変だったのですよ。昨日の夜、気付いた。一応ある程度準備はしていたのですけれども、なんか違うなと思いながら。こんな白々しいこと言えんなとかね。私は結構土壇場にならないとね、ものが完成しない性質なのです。最後は時間との勝負なのです。

なんか自分の言葉にできないものですから。ちょっと違うな。なんだろうなと思ったらわかったのですよ。何かと言いますとね、僕は、そういう形での辛い、身近な肉親との死を経験していないのですよ、まだ。経験していない。違う苦しみは経験していますよ。でもまだこれから経験していくのですよ、僕の場合は。そういう辛い肉親との別れの辛さはですね。だからこれは難しい問題だなと。そこにおいていただいていこうということで自分の立場をですね、そこにいただき直した。そうしましたらですね、この『御文』が自分にどういただかれておるかと。今の私にですね。そういうことで申し上げさせていただきたいというふうに思うのですね。

そうしますとまずこれは『御文』の通りでありますけれども、この御文様はどういう御文様としていただかれるかと言えば、今申しましたように、蓮如上人が度々身近な方を亡くしていかれることの中で、その白骨から人生の無常をお聞きになっていかれた。そして更にその最後ですね、この『御文』で言えば下から二行目ですけれども。

されば、人間のはかなき事は、老少不定のさかいなれば、たれの人もはやく後生の一大事を心にかけて、阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて、念仏もうすべきものなり。

蓮如上人は白骨からお聞きになった。念仏申せと。本願に帰れと。こう蓮如上人が白骨からお聞き取りなされて、そして聞き取られることを通して南無阿弥陀仏のお心に立ち帰っていかれた。改めていただき直していかれた。これはまずいただけること。それだけではまだあかんのですよ。ご要望に応えなければならない。そういうおみのりであるとして、お前はそこから何をいただくのかと。

身近なものの顔を思い浮かべながら思いましたのは、どうせ別れていかなならんわけでしょう。まだ母親も生きていますし、家内も生きていますけど。その別れていった妻とかね、ひょっとしたら子どもの白骨を前にして、人生が無常であるとこう聞き取れるかと。そういう呼びかけとしていただけるかと。こうね、自分で思いましたらね、最近ちらちらそういうことを思うのですよ。こっちも七十三歳になりますとね。そうしますとね、僕はやっぱり中々そういう形で受け取れないだろうと。受け取れないからそのことに固執していくだろうと。悲しみのまま、解決のつかないまま。篠沢教授じゃないけれども、十年間肉体の痛みとして抱え続けてきたと。そう簡単にね、無常として聞き取れないから本願に帰れという、そこには容易に僕はひょっとしたらおそらく辿り着けないのではないかなということがまず念頭に出てきたのですよ。

それじゃお前はそういうこの『御文』をどういただくのだと。僕はやはりそういう私に蓮如上人が、繰り返し繰り返しこの御文様を通すことを通して、本願に帰る方向を示しておってくださる。繰り返し繰り返し。だから最初に言うたのですよ。繰り返し聞いていくのだと。聞くまでいただいていくのだと。そういうある意味で寄り添うようにして繰り返し繰り返しいただいていくことを通して、本願への方向を示し続けておってくださる。示し続けてくださる。そして立ち帰らせてくださる。悲しみを抱えている身が、本願へ生きる身へ帰そうとしておってくださる。そういう僕にとっては『御文』でないかなと今の時点でですよ。

そういうふうに私としては、昨日ようやくですね、そこまでいただいた。そういう意味でこの御文様というのは、愛別離苦の苦しみを抱えておる私たちに寄り添うようにして本願への通路、道を開いてくださるような御文様でないかなということがようやく。それで今日やっとほっとした。朝。これは良かったなと本当に正直思ったのですよ。そこまできてようやく。ああ、このことだけは自分が今、感じておることとして言えるだろうなと。寄り添う。

『白骨の御文』をこちらはどういう時に読むか知りませんけれども、私は初七日に読むのですよ。この御文様を通してね、何か光る。光るというとおかしいですけれども、どっかなんか開かれてくるもの。受け止め続けてきた、そういう伝統があるのではないかなと。もう一つ言えばその悲しみを超えていく術をね、どこかに深いところから開かれてくる『御文』として感じ取り続けてきたのが、真宗のご門徒さんだったのではないかなと、そういうことを感じたわけであります。

そこから更に言えば、本願と言うではないですか。一度いただいたら終わりではないですね、本願は。これはもう今日、迷ったのですよ。ナビ見たら上野駅が出たから上野に行ってみようと。稲荷町ではなかったのですよ。それで上野で出るとわかりませんね。特に東京という大都会、田舎とやっぱり雰囲気が違うのですよ。やはり私にとって、田舎でいただいてきたものがちょっと吹っ飛ぶところ。東京という場所になるとね。そのことも自分の思いの中に持ちながらですね、本願というのはまず何かと。自分たちにとって何かと。僕はこう言えるのではないかと。人生の中で、どこかで教えが縁となって出遇う確かなもの。これは本願でまず言えるのではないですかね。だからこんなに自分が、田舎のものが東京に来てもどこかでそれが確かなものとして私を支えてくださる。それがお念仏の心ではないですかね。

だから阿満利麿という方が、NHKのディレクターまでやって、そしてちくま新書とかで現代の私たちが受け止められる表現でですね、『親鸞』とか『法然入門』とか、ちくま新書で出しておられる。本願のことを定点という。定まった一点。それこそ変わらずに変わっていく。これは人生の生涯の中でこれは確かだと言えるもの。そう感覚されていくもの。それが本願ではないですかね。そういう意味でそのことだけは確かだと。そこに帰ることによって生活を立て直していくことができるような。支えられていくことができるような。そういうまことが本願というのではないですか。

そうしますとね、その本願というのは、愛別離苦が一番僕は最たるものだと思います。出来事の中でわからなく見失っているのですよ。そういう意味で常に新たにいただき直していかなならん。これは教えを通してね。常に新たに。またおそらく事件が起こればまたそこでいただいていかなならんですよ。そういうものが生きた真実ですから。こっちが迷えばそのことに応じてまたそこでいただき直していかなならん。固定したものではありませんからね。そうしますとね、わからなくなるとしてもね、一つだけははっきりしておかなきゃならんというということを曽我先生が教えてくださっておるのですよ。そのことさえはっきりしておけば、また教えを通して本願がいのちをもってね、私の上に回復されてくるのだと。

曽我先生が本願とは何かと、どういうまことだと。もう一つ言えば、どこにはたらいておるのだと。だからはたらいておる場所さえはっきりしておけば、そこに立ち帰ることにより、また本願に出遇えていけるわけですわ。場所がありませんとね、とんでもない方向に。帰るということはできないですよ。そういう意味で本願はどこにはたらいておるのか。はたらいておる場所ですね。そのことがはっきりしておけば、そこにおいてみんなが出遇ってきたわけだから、教えが縁となって出遇い直していけるのですわ。違った場所にあると思っておるとね、出遇えない。時々はあそこかなとしてもいざという時、出遇えないですわ。そのことをはっきりと私においてやはりお示しくださっておる先生が曽我量深という先生ですわ。ブレない。絶対そこからブレない。
曽我先生は一言で言えば、本願は法蔵菩薩の願いだと。一言で言えば徹底して法蔵菩薩の願い。一貫しています。それは曽我先生しかいない。それを目印にしておられる。そこに帰りながら帰りながら教えをお説きくださっておるわけでしょう。

これはね、曽我先生のおっしゃっているというよりも、覚如上人がね、報恩講を一番、最初に始められた時に『式文』というのを書かれたのですよ。そこに何に感銘したかというと、阿弥陀如来の因位の法蔵の弘誓に感銘したと。法蔵因位の弘誓に感銘したと。だからそれは曽我先生が初めておっしゃったわけではない。法蔵の本願というのは、菩薩というのはどっか私たちから離れたところにあるわけではない。いろんな問題を抱えながら生きておる私たちのところにはたらいておる。

そして私たちのところにはたらいておるのだけれども、そして私たちの方から探してもわからんですわ。あれ?どっかにあるのではないかとね。親鸞聖人はそれを回向と。むしろ本願は私たちに教えの縁になって名のってくださるという形で出遇うことのできるまことだと。名のってくださることによって、私たちのところにはたらいておってくださるというまこととしていただかれてくるのは本願だと。これだけは外せない。だから回向っていうのはそういうことです。教えの縁となって、あれ?なんか力が出てくるようなことが自分の身に開かれてきたな。だからそのことを通して私たちと離れないところにはたらいておってくださるということがいただかれてくるわけでしょう。そういう意味でそのことをですね、曽我先生が非常に平易に教えてくださっておるお言葉を二つ挙げておきました。読むだけにしておきます。おそらくこれは難しい言葉ではありませんからどっかでおわかりいただけると思います。

阿弥陀如来さまが実在しておると、そういうようなことを何も証明する必要はない。ただ我われが──この人生、あるいは生死問題ですね、生死問題──そういうものに目覚めていろいろ悩みをいだく。なんとかしてこの自分の悩みを解決しなければならんと。そういう機縁というものがあって、私どもはお念仏というものに接するわけであります。(中略)だから、仏さまが実在するというようなことは、私どもにわからんことでありましょう。畢竟ずるに、まずこの自分、自分自身というものが一番もとでありましょう。

そういうわけでありまして、まず仏さまがあって信じなければならんというわけではないので、むしろ我われがですね、まずこの自分、自分というものが一番大事なんでしょう。仏さまよりは自分自身のほうが大事なんである。その自分自身が大切であるけれども、その自分自身がですね、本当にこの危機、危機迫っておるんである。そういうので、仏さまという──何かそういうもの、自分を助けてくださるというお方を求めるのでありましょう。

自分というのはまったくの孤独で、仏さまがおいでにならないならば、まったくの孤独でありましょう。その孤独の自分を助けよう、それを助けようというのが仏さまである。それが仏様の本願というものである。(抄録『説教集』6・251)

問題を抱えておる私たちの上に仏様の方から回向くださっておるのだと。来てくださっておるのだと。こういう形で出遇うのが本願だということをおっしゃっている。最後にもう一つ。

如来の本願とか、如来の光明とかいうようなことはですね、こういうことは、これは竊に以みるべきものである。こういうことでありましょう。

つまりこの──ですね、他力本願、他力救済のおみのりというもの、すなわち浄土真宗のおみのりというものはですね、これは竊に以みるところにある。こういうことをご開山聖人がおっしゃった。

本願とかあるいは光明とかいう、そういうことというものはですね、これはわれらの煩悩妄念のですね、われらの心のですね、その心のさらに深いところに、その深いところにわれらは感ずるものである。こういうのでありましょう。(中略)ほんとうに煩悩妄念の心の深いところにかすかに感ずるものであり、かすかに息づいておるものにちがいない。こういうんでありまして、これは竊に以みるというところにある。これがすなわち自信教人信のおみのりであろう、と、こうわたくしは信ずるものであります。 (抄録『説教集』10・44)

ですから私たちの方から探すのではなくて、私たちのところに教えが縁となって回向くださる。表れてくださる。そういうまことが本願だと。だから煩悩を抱えておる私のところにはたらきかけてくださっておる。そういうまことということを親鸞聖人と、覚如上人も、僕は曽我先生を介して、一貫している方から聞くということが大事なのではないですかね。そういう形で教えてくださっておると。そういう愛別離苦という大変な辛い、おそらく辛いだろうと思います。そういうことの中にも、その一点が明らかになれば教えを通してですね、立ち帰っていただき直していくことができるのではないかということで申し上げさせていただきました。それでは終わらせていただきたいと思います。(文責:齋藤瑶子)