臨済宗大徳寺派の葬儀に参列

去る12月11日、私の母方の叔父にあたりますが、大徳寺塔頭・龍泉庵住職 松濤諦雲老師(12月7日還浄・76歳)の葬儀に参列してきました。

諦雲老師には、私が子どものころに遊んでいただいたこと、老師が僧侶になろうかと悩んでいた学生時代のこと、厳しい修行中の姿など思い出は尽きませんが、少ない親族の中で参列、お焼香できましたことで心の安んずる思いがいたしました。

それでも、生前座禅の指導をうけていた多くの方がご参列くださり、また大徳寺管長をはじめとする一山の僧侶の方が30名くらいでしょうか、参勤され勤行くだされ感動深い葬儀となりました。

以下は、情報誌「京都」掲載記事からの転載です(1995.1.7)

門戸を開放して来る方をお迎えしています。松濤 諦雲 龍泉庵

自分の悩み、人の悩みに関心があって、大学では心理学を専攻しました。私の学んだアメリカ流の心理学は、人の心を不問に付して、行動や言葉に表れたことのみ研究しようというもので、私のめざしているものとは違っていました。何か研究を、というので坐禅中の脳波とかの生理心理的な測定をしたのですが、科学的に実証できない。当時の心理学はまだ未熟だったのですね。悟りの解明などはもっと難解だろうし、それなら一層のこと、自分がお坊さんになって研究した方がいいだろうと思いました。

今、お坊さんになって、自分のやってきたことを生かすためにも、わかり辛い禅や心について、科学的な言葉におきかえて、わかりやすくお話しする努力をしています。

こちらには外国の方がよくお見えになりますが、禅に非常に興味を持っておいでです。「日本文化の中心は禅であって、日本人なら誰もが禅を知っている。経済発展も禅のおかけだ」とまで言われる人もいますが、これは誤解ですね。寺のありようは「去る者は追わず、来る者は拒まず」。宗教家としての本領を果しながら、門戸を開放して来る方をお迎えしています。

古いもの、新しいもの、保守性と革新性と、あらゆるものを含んだ京都は、大変難しい立場の自治体です。経済面での悲観論を言う人もいますが、京都の本質にもどって、やるべきことをやっていれば、お金は後からついてくると思うのですが。

松濤 諦雲
まつなみたいうん昭和17年に、東京の阿弥陀寺の住職の子供として生まれる。早稲田大学心理学部卒業。九州の梅林寺、アメリカの禅道場、カトリック修道院、大徳寺専門道場にて修行。昭和60年に龍泉庵住職。外国のキリスト教徒に坐禅を教えに出向く。

龍泉庵

龍泉庵大徳寺の塔頭の1つ。開祖・陽峰宗韶、開基・多賀高忠により明応年間(1492~99)に創建された。大徳寺4派の1つ龍泉派の本庵であり、関東に勢力をのばしたので、関東派とも呼ばれる。明治の排仏棄釈に遭遇し、明治9年、芳春院に合併される。昭和33年、アメリカ人ルース婦人(紹溪尼)によって再興。日米第1禅協会が設立され、海外での禅ブームの先駆けとなった。〒603-8231 京都市北区紫野大徳寺町107