「盂蘭盆会法要」つとまる

2018年7月15日午前10時より明順寺「盂蘭盆会法要」がお勤めされました。連日の猛暑の中にもかかわらず75名もの皆さまがご参詣くださり、満堂の賑々しい法要となりました。

法要次第はいつもの通り。阿弥陀経中にお焼香。正信偈・同朋奉讃は皆さまと共に唱和しました。

なお、法名を記した「志納袋」は、ご本尊前に奉呈してお勤めいたしましたことをご報告しておきます。

法話は、副住職より。記録として、そのレジュメを掲載しておきたいと思います。

副住職からのお話

【阿弥陀の誓願・四十八願】
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。(真宗聖典204頁)

(阿弥陀様が法蔵菩薩という位だった時に、世自在王仏の所へ行って、色々なお浄土を見せてもらいました。五劫という長い時間をかけ、どんな人も救われる浄土を作りたいと思い、四十八の願をたてられました。その願いがみんなに聞こえますようにと、重ねて誓われました。)

【第八願 他心通(たしんつう)の願】
たとい我、仏を得んに、国の中の人天、他心を見る智を得ずして、下、百千億那由他の諸仏の国の中の衆生の心念を知らざるに至らば、正覚を取らじ。
(たとえ私が、仏になっても、あなたが、他人の心を知る力を持たずに、諸仏の心を受け取れないならば、私は仏にはならない。)

【諸仏のこころ】
様々な出来事が起こる中で、人は、自分で自分を保とうと頑張りますが、時にそれができないことがあります。特に、日常の当たり前の生活が変化すると、動揺し、生きていく気力さえなくなってしまうこともあります。そんな時、こころが弱い自分のことが嫌になったり、精神的に強くなろうと努力したりしますが、こころは思うように動いてくれません。

改めて、どんな人をも救いたいという阿弥陀様のおこころを受け取りますと、「人のこころは弱いのだと、認めてもいいのではないか」という呼びかけを感じます。私たち人間が、自我が強く、色々なことを頑張る存在だからこそ、法蔵菩薩は阿弥陀仏となって、私たちが頼れる場所になり、私たちと一つになって共に生きるという誓いをたてられたのです。

これまでの人生の中で、阿弥陀様のおこころを表してくださった方々が沢山いらしたと思います。黙って育つのを待ってくれた人、元気づけてくれた人、温かく叱ってくれた人、いつも味方になってくれた人。そうした共に生きるという温かい愛情を感ずる時、私たちは生きていく力を賜るのではないでしょうか。