「春季彼岸会法要」つとまる

2018年3月21日(春分の日)午前11時より明順寺「彼岸会法要」がお勤めされました。桜も開花する暖かい陽気が一変して、冷たい雨が降る中、大勢の皆さまがご参詣になられました。お勤めはいつものとおり、阿弥陀経中にお焼香。正信偈・同朋奉讃は皆さまと共に唱和しました。

法話は、副住職より。以下にその要旨を載せておきたいと思います。

副住職からのお話

【阿弥陀の誓願・四十八願】
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。(真宗聖典204頁)

【第七願 天耳通(てんにつう)の願】
たとい我、仏を得んに、国の中の人天、天耳を得ずして、下、百千億那由他の諸仏の所説を聞きて、ことごとく受持せざるに至らば、正覚を取らじ。
(たとえ私が、仏になっても、人が、諸仏の声を聞かないならば、私は仏にはならない。)

【諸仏の声】
阿弥陀様の誓願は四十八あると言われていますが、「私たちの帰る場所になる」ということが根本の願いとしてあります。自分を依り処とし、自分一人で頑張る姿を悲しみ、慈しんでくださるのが阿弥陀様のおこころなのです。

「自分の願いを生きるのではなく、本願に帰っておいで」と呼びかけられても、なかなか自分を捨てることのできない私たちでありますけれども、そんな私たちをどこまでも深く信じてくださる心を、阿弥陀様の信心と表現しています。

その阿弥陀様の信心は、信心を賜った念仏者に触れることで出遇うことができます。そういう方に「自分の願いを生きるのではなく、本願に帰ろう」と呼びかけられることで、自分の思いに縛られていたことに気付き、そこから解放され、安心して生きていくことができるのではないでしょうか。そういった呼びかけをくださる方のことを諸仏、よき人と言います。

そうした諸仏に触れて、お念仏に生きる方が生まれてくる。そしてまたその方に触れて、お念仏に生きる方が生まれてくる。そうしてお念仏の道は今を生きる私たちまで、大切に相続されてきたのです。