「盂蘭盆会法要」つとまる

2017年7月15日、午前10時より明順寺「盂蘭盆会法要」が執り行われました。

当日は、土曜日ということもあって、およそ85名もの皆さまがご参詣になられました。

法話は、副住職が。参考に当日配布したレジュメを掲載しておきます。

副住職からのお話
【阿弥陀の誓願・四十八願】
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。 (真宗聖典204頁)

【第五願 宿命通の願】
たとい我、仏を得んに、国の中の人天、宿命を識らず、下、百千億那由他の諸劫の事を知らざるに至らば、正覚を取らじ。
(たとえ私が、仏になっても、人が、人間の限りない過去を知り、今を大切に生きることができなければ、私は仏にならない)

【今を大切に生きる】
お葬儀をお勤めするにあたって、亡き人と繋がるということはどういうことなのかを考えさせていただきました。それには、残された私たちが、亡き人が喜んでくださる生活をしていくこと、それが最高の供養になるのではないかと思うのです。

今を大切に生きるということを第五願に尋ねてみますと、この世を生きてきた亡き人がどのように生きてきたのか。人として生まれて、どのようなことを感じてきたのか。どんなことを未来の私たちに願ってくださっているのか、ということを知ることは、とても大切なことであると教えられます。

今まで生きてきた人々は、色々な苦しみや悲しみ、生きることの難しさを感じながら、精一杯一生涯を尽くしていったのだろうと思います。この四十八願というのは単に阿弥陀仏という架空の仏様が建てた願いという話ではなくて、今までを精一杯生きてきた人々から自然に生まれ出たものではないのかなと感ずるようになりました。

第一願から今までお話してきた中では、地獄・餓鬼・畜生のない国であってほしい、みんな金色に輝いてほしい。今の私たちに願ってくださっていることではないでしょうか。これは人に生まれた、その苦しさの中から生まれ出てきた、人々の根本の願いといってもいいでしょう。

そういうご先祖に、大切に生きなさいと、人間に生まれたということを真剣に考えなさいと、言っていただいているような気がいたします。

どうしても自分に精一杯で、過去の人々の言葉に耳を傾けるというのも難しいことだと思いますけれども、たくさんの方に願われている存在なのだということは、大切にお伝えしておきたいなと思います。

※翌16日午後6時より「新盆法要」がお勤めされました。約50名の参詣者で控室も大混乱。用意した記念品もすべてなくなるほどでした。

 

盂蘭盆会の立華
法話をする副住職
熱心に聴聞する皆さま
ロビー席まであふれる参詣者
お盆に飾る切籠(きりこ)灯ろう