「春季彼岸会法要」に大勢のご参詣

去る3月20日、午前11時より例年の「春季彼岸会法要」を執り行いました。

今年は初めてのご参詣も多く、お顔を見ますと葬儀を執り行ったばかりの方々で、葬儀が大切なご縁となっていることに感銘をうけました。

法要次第などは例年のとおりで、およそ70名の皆さまとの「正信偈」の唱和は感動的です。

法話は、副住職が担当。記録として、そのレジュメを掲載しておきたいと思います。

副住職からのお話

【阿弥陀の誓願・四十八願】

「正信偈」

法蔵菩薩因位時 在世自在王仏所 覩見諸仏浄土因 国土人天之善悪

建立無上殊勝願 超発希有大弘誓 五劫思惟之摂受 重誓名声聞十方

 

法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。                      (真宗聖典204頁)

 

【第四願 無有好醜の願】

 たとい我、仏を得んに、国の中の人天、行色不同にして、好醜あらば、正覚を取らじ。

 (たとえ私が仏になっても、人が、様々な願いによって、善し悪しを分別するならば、私は仏にはならない。)

【人間の願い】

私たちは日常生活を送るにあたって、様々な願いを持って生きています。その願いを強く持ってしまう時、苦しみのある生活になってしまいます。

 ・オリンピックのレスリングの吉田沙保里選手

  (願い)亡くなったお父さんの為にも絶対に金メダルを取りたい。

  →結果は銀メダル。会見では「お父さんに怒られる」と号泣。

 ・会社の先輩、後輩

  (願い)仕事場で良い人間関係を築いて、一生懸命働きたい。

  →後輩が言うことを聞いてくれない。上司ともうまくいかない。

 ・家庭の主婦

  (願い)家庭が自分にとって幸せな場所であってほしい。

  →子どもに歯向かわれる。お姑さんと関係がうまくいかない。夫と口をきかない。

【阿弥陀の本願】

人間の感覚で分別をして、善いことを求めて、悪いことを捨てていく生き方というのは、実は悲しい生き方なのだということを、この第四願からいただかせていただきました。

人間が生きていく上で願いを持つ、目標を持つということは大切なことだと思います。しかしその思いが強すぎると、苦しみのある生活になってしまうのです。それを頭で理解して、煩悩を捨てようという、そういう教えではありません。「正信偈」の中にも、「不断煩悩得涅槃」という言葉があります。こうしたい、ああしたいという煩悩を自分で断たなくても、涅槃を得ることが出来るというのが真宗の教えなのです。

煩悩に捉われる私たちの生き方を雑行と言い、「雑行を棄てて、本願に帰す」という言葉があります。本願を見失っている私たちに、雑行を棄てて、本願に生きなさいという呼びかけをしてくださっているのが阿弥陀様なのです。雑行を棄てなさいというその呼びかけを聞いていく生活が、真宗門徒における聞法生活であり、その呼びかけに応ずることができれば、功徳に満ち満ちた生活が開かれてきます。

これまでも、今も、これから先も、つらい思いをすることも出てくると思います。でもそれが本願に生きる転機になりますから。どんな悪いことも恐れず、共に生きていきたいなと思います。