明順寺「彼岸会法要」

明順寺「彼岸会法要」

朝から激しい雨の中でしたが、大勢の皆さまがご参詣にいらっしゃいました。本堂もほぼ満席、ロビーにも人があふれていました。阿弥陀経中にお焼香していただきましたが、3台のお焼香卓でも終わらないほどでした。

法話は住職が担当しました。ツイッターで見た27歳の青年のブログを紹介しました。仏事に関 わりのないところで育ったその青年は、父親が亡くなっても、お焼香や手をあわせるということができませんでした。新盆を迎えたある日、「お盆。うらぼん え。親父の新盆。親父は帰って来たんだろうか?」とツイートします。そこには、きっと帰ってきていない。だからお線香もあげないし手を合わせたりもしな い、という心情がありました。

おそらく青年の先生であろうと思われる、脳科学者の茂木健一郎さんが、彼にツイッターで返信 します。「君がそう想った瞬間に帰ってきたよ」。それを見て、青年は不意打ちをくらったかのように、頭のなかの水門がいくつも開いて、さまざまな感情が滝 のように心に流れ込んできたと言います。「なんで死んじまったんだ」と返事のない問いをくり返したお葬式のときに、心がタイムスリップしたようだったと。 青年は、今までの父親への思いがいっきに溢れ、ファミレスでひとり涙を流したというのです。

自分にとって切実な人の死は、自分自身の生の在り方を見つめる目を変えてくれるものなので しょう。悲しみを受容し、それを乗り越えられたとき、その人の死は無駄でなくなるのです。それが本当の供養というものです。青年が、亡き父親とどう向き合 うことができるか、どう出遇っていくことができるのか、その縁となるのが仏事なのです。青年の「お盆には死者が帰ってくるということは信じてみてもいいと 思った」というコメントに、出遇いの扉が開かれたような思いがしました。

明順寺住職:齋藤明聖

明順寺「彼岸会法要」