第3回:「日本の家にはチャーチがある!」

これは、マッカーサーの言葉です。彼は、日本の家にあるお仏壇を見て、日本人は慈悲深いブッダ釈尊の教えによって深い精神生活を送っているのかと驚いたというのです。

「儲かりまっか?」 「お蔭さんで、ぼちぼちでんねえ」。これは大阪人の挨拶の言葉として知られていますが、この「お蔭さんで」とは阿弥陀さまのお蔭でありました。大阪は石山本願寺の寺内町として発展したからであります。

しかし、今日どうでありましょうか?先祖が伝承してきた阿弥陀さまを中心とした「お内仏」(お仏壇)は、いつのまにか先祖を祀る「先祖壇」と化し、今やその先祖を供養し敬うことさえあやしくなってきています。

肝心の仏陀の教えは忘れさられてしまったかのようであります。子供が独立すると親はお仏壇を買い与え、阿弥陀さまをお給仕する生活を伝えてきました。

こうした習慣は消え去り、さらに核家族化によって、「お内仏」の無いなかで子供たちが育つようになりました。信ずることを失った、手を合わせることのない 若者たちはこうしてうまれてきたのです。給食費を払っているから「いただきます」と言う必要がないという親まで現れる始末であります。

普遍的な宗教は、決して弱い者が信ずるものでもなければ、怖いものでもありません。いま世界中で宗教教育の必要が叫ばれているのです。

実家と離れて、独立して生活している家庭に、「三つ折本尊」をかざって、いつでも手を合わせられる環境を整えて、子育てをしてはどうでしょうか。

三つ折本尊は、飾り棚、箪笥の上、小さなテーブルの上、どこにでも置けるように三つ折に作られています。前に、ろうそく立て、香炉、お華立てを置けば、それで立派なお内仏になります。

明順寺住職:齋藤明聖

○より詳しい「お内仏」についてはコチラ