第66回:「半眼の眼差し」

仏像の眼(まなこ)は、見開くでもなく閉じてもいない、いわゆる「半眼」の眼差しです。それは、どういう意味があるのでしょうか。詳しいことはわかりませんが、私は、半分は外界を、半分は自分の内側を観察しているように感じられます。

眼は、外を見るための器官です。自分の内側は見えません。その眼を閉じることによって、見え てくるものがあります。眼を開けていては見えないものが見えてくるのです。耳も同じですね。外の音を聴く器官です。一旦耳をふさぐことによって、自分の本 当の心の声が聞こえてくるかも知れません。

お釈迦さまは、深い瞑想の末、さとりを開かれました。その中で見たものとは何だったのでしょうか。おそらく、自分の内側を徹底的に観察し、その内観をとおした眼で外界を見て、外界を見た眼で、また内観をされていかれたのだろうと思います。

昨今、僧侶による社会貢献活動ということが叫ばれています。僧侶の社会的実践とは、あくまで も自分自身の信心が問われてくる場となっていくことです。仏法という価値観をいただいて、現実をどう受けとめ、それにどう向き合っていこうとするのか、そ れが僧侶の社会的実践なのだと思います。

半眼の眼差し

明順寺住職:齋藤明聖