明順寺「報恩講のつどい」

明順寺「報恩講のつどい」

11日午後6時から「帰敬式」が執行されました。今年の授式者は12名。照明を消した暗闇のなかで、蝋燭の明かりだけを頼りに式が進行されます。これは親鸞聖人が明日はないかもしれないとの覚悟で夜に出家得度されたことに因んでのことです。

続いての「灯のつどい法要」は、同様に蝋燭の明かりのなかでのお勤めです。僧侶であり、シン ガーソングライターの松田亜世さんも手伝いに来て下さいました。4人での勤行は荘厳そのもの。宗教的雰囲気に包まれた法要儀式に、ご参詣の皆さま、大きな 感動をもって受けとめてくださいました。

法要の最後には「御伝鈔」の拝読。「御伝鈔」は初めて読んだときが一番うまく読めると言われ ています。歌舞伎役者の歌右衛門さんの言葉を思い出します。「芝居はだんだん上手くなるのじゃないんだ、ヘタになるんだよ」。慣れることを禁じた厳しい言 葉として受けとめることができます。

翌日の日中法要は、浄林寺住職さんも加わって合計6人。迫力ある勤行に、親鸞聖人への報恩行 の大切さがお伝えできたように思います。法話は、昨年に引き続き東京教区駐在教導の脇山展彦さん。年間3万人もの自殺者がでる背景をもとに、「生きること の苦しみ・生きることへの安心」という題目でお話し下さいました。

お釈迦さまは、人生を苦しみであると感じられ、その苦しみの源をたどることが、さとりへの道 程であると明らかにされました。そこから仏教が始まりました。始まったというのは、仏陀の教えをもとに生活する人々が生まれたということです。今の時代社 会をみていると、人材育成という言葉のなかに、人を材料とし、人に価値(値段)をつけていく風潮が感じられます。時代社会が人間をどう見て行こうとも、私 たちはどこまでもお釈迦さまや親鸞聖人の「そのままで尊い」という呼びかけを拠りどころとして生きていきたいと思います…。そう語る脇山さんの言葉が印象 的でした。どこに心の安らぎを感じ、生きる力としていくことができるのか、考えさせられるお話でした。

最後は余興。漫才の宮田陽さん、昇さん、6代目左楽師匠の落語に、皆さま大笑い。仏さまの眼前で、仏さまに包まれて笑えるなんて何という幸せなのでしょうか。

ご参詣いただいた皆さま、ご協賛くださった方々、お念仏のお志を賜わり、ありがとうございました。

明順寺住職:齋藤明聖

明順寺「報恩講のつどい」