『仏説阿弥陀経』(現代語訳)

中国、姚秦の時代、中央アジアの亀茲国出身の訳僧鳩摩羅什が弘始四年(AD四〇二年)、姚興帝の命によって漢訳しました。

このように私、阿難はお聞きしました。
ある時、釈尊がコーサラ国の祇園精舎で出家の高弟、その数一二五〇人の方々とご一緒でした。これらの人びとは皆、最高のさとりを開いて、世の中の尊敬と供 養をうけておられました。なかでも高名なのは長老の舎利弗。この方は智慧第一。その親友で神通力第一の大目連。釈尊亡き後の指導者となった大迦葉。論議第 一の大迦旋延。問答第一の大倶?羅。舎利弗の末弟で禅定に徹し少欲知足の修行をした離婆多。一詩句もおぼえられなかったような生来の愚かさにもかかわらず さとりを開いた周利槃陀伽。釈尊の異母弟で容姿端麗、愛欲の苦悩に克った難陀。釈尊の従兄弟で、多聞第一の阿難。釈尊の御一子、密行第一の羅?羅(羅 云)。律に詳しく釈尊入滅時身を焼いて入滅した?梵波提。獅子吼第一と呼ばれた賓頭盧頗羅堕。カピラ城の大臣の子で、釈尊成道時、釈尊を迎えに行き弟子に なった迦留陀夷。天文暦法の知星宿第一の大劫賓那。無病で長寿第一の薄拘羅。不眠の苦行により両眼を潰した天眼第一の阿[少/兔]楼駄“あぬるだ”(阿那 律 “あなりつ”)。このような数々の高弟方の他に、無上のさとりを求め、菩薩と呼ばれる智慧すぐれた文殊菩薩(妙徳菩薩)。未来仏の弥勒菩薩。常に般若波羅 密の行を修して尊貴第一といわれた乾陀訶提菩薩(香象菩薩)。常精進菩薩等のさまざまな偉大なる菩薩方。さらに梵天と呼ばれ、釈尊に最初に説法を勧めた帝 釈天をはじめ、数えきれないさまざまな神々や人びととご一緒でした。

その時、釈尊が突如、長老の舎利弗におっしゃったのです。
ここから西方に向かい、十万億の仏の国を過ぎゆくと、ひとつの世界に到る。名づけて極楽とよびます。そこには仏がおられ、その仏は阿弥陀とよばれます。 今、現にそこで法を説かれています。舎利弗よ、かの土をどうして、極楽とよぶのかといえば、そこの住人には、身心の苦しみがまったくなく、永遠の安らかに 包まれているから、極楽(安楽)とよばれるのです。また舎利弗よ、極楽国土には、七重に張りめぐらされた玉垣や、七重の飾り網、それに七重の並木があり、 それらはすべて金・銀・瑠璃・玻?でできていて、あらゆる所をめぐらし囲んでいます。そこでかの国を極楽とよぶのです。

また舎利弗よ、極楽国土には、七宝からなる池があって、その中には八功徳水によって、湛えられています。その底には、一面黄金の砂が敷きつめられていま す。そして四方には、階段がたてられ、(その階段は)金・銀・瑠璃・水晶の四宝によって組みあわされています。それを昇りつめると高殿がそびえ、金・銀・ 瑠璃・水晶・宝石・赤真珠・瑪瑙の七宝によって、美しく飾られています。池の中の蓮華といえば、その大きさはまるで車輪のようで、青い花からは青い光、黄 色の花からは黄色の光、赤い花からは赤い光、白い花からは白い光が放たれ、それぞれが神秘的で香ばしく咲いています。舎利弗よ、極楽国土には、このような すぐれたはたらきと美しさが完成されているのです。

また舎利弗よ、その仏国土には、絶えず美しい音楽が流れています。黄金を大地として、昼夜にそれぞれ三度ずつ、天から曼荼羅華の花がふりそそぎます。その 国の住人は、いつもの清らかな朝をむかえると、それぞれが花皿を手にして、その中に美しい花々を盛ると、他国の数かぎりない仏たちに捧げまわるのです。そ して昼の食事の時間までには、本国に帰り着き、食事の後、身心を鍛えるために辺りを散歩するのです。舎利弗よ、極楽国土では、このようなすぐれた、はたら きと美しさが完成されているのです。

また次に、舎利弗よ、かの国には、いつも何種類もの色とりどりの珍鳥が生息しています。白鳥や孔雀、鸚鵡に舎利、人頭鳥身といわれるかりょうびんが、一身 二頭の共命鳥などです。これらの鳥たちは、昼夜にそれぞれ三度ずつ、やさしく美しく啼きます。その声は、さとりへ導く三十七の修行の徳目で、五根・五力・ 七菩提分・八聖道分の教えをのびやかに説くのです。この土の住人は、この声を聞くことによって、皆一様に仏を念じ、法を念じ、僧を念ずるのです。しかし、 舎利弗よ、だからといって、これらの鳥たちが、鳥として生きていることを罪報の結果だとは思ってはなりません。何故なら、この仏国土には、地獄・餓鬼・畜 生の悪い境界は存在しないからです。舎利弗よ、そこには、三悪道の名さえないのです。ましてその実体である鳥たちが存在するはずがないのです。これらは、 みな、阿弥陀仏が、人々の耳に心地好く法を述べんと、応化してのことです。舎利弗よ、この仏の国土では、そよ風が、さまざまな宝でできた樹木や飾り具を吹 き動かすたびに、美しい音色をたてています。まるで百千種の音が、同時に音楽を奏でるようで、その音色を聞く者は、おのずから、仏を念じ・法を念じ・僧を 念ずる心を生ずるのです。舎利弗よ、この仏の国土では、このようなすぐれたはたらきと美しさが完成されているのです。

舎利弗よ、そなたはどう思われますか。なぜ、かの仏を阿弥陀とよぶのでしょうか。舎利弗よ、かの仏の光明のはたらきは尽きることがなく、十方の国々を照ら すのに、ゆきとどかない所はありません。そこで名付けて阿弥陀(無碍光)とするのです。それに舎利弗よ、この仏の寿命、並びに住人の命もまた、私たちの数 の観念をこえて数えることのできない永きにわたるもの。それで阿弥陀(無量寿)とよぶのです。舎利弗よ、阿弥陀仏は、仏と成ってから、今日にいたるまで、 十劫というはるかな時を経たのです。

また舎利弗よ、その仏には無量無辺の直弟子がいて、すべてが最高のさとりを開いた者ばかりです。その数は、数えつくすことができないほどです。またさまざ まな菩提方にしてもそうです。舎利弗よ、かの仏の国土では、このようにすぐれたはたらきが完成されているのです。
また舎利弗よ、極楽国土の住人となるべき者は、すべての迷いの境界には再び退転しない身となり、その多くは、仏に等しい位にある。その数はたいへん多く、 とても数えつくすことはできません。ただ、私たちの計量観念をこえた、数えることのできない永い時をつくせば説くことができるかもしれません。

舎利弗よ、これらのことを聞いた人びとは、ぜひこの国に生まれようと発願してほしいものです。なぜなら、そこでは、仏道を歩むさまざまな聖者方と一堂に会する喜びを得ることができるからです。
舎利弗よ、少しばかりの善行のちからなどでは、極楽に生まれることはできないのです。

舎利弗よ、仏を信ずる男子・女子が、阿弥陀仏の無量の智慧と慈悲のはたらきを聞いて、絶えることなく念仏申すこと、あるいは一日、あるいは二日、あるいは 三日、あるいは四日、あるいは五日、あるいは六日、あるいは七日、その間、一心に心が乱れなければ、その人が死に際した最後のとき、阿弥陀仏は、極楽のさ まざまな聖者方を引きつれて、その人の前に姿を現すでしょう。そしてその人がまさに最後の息を引き取ろうとするときは正念にあって、間違いなく、阿弥陀仏 の極楽国土に往生することができるのです。

舎利弗よ、私は念仏の利益を体験したので、このように説くのです。だから衆生の中で、この説法を聞いた者は、ぜひ心をむかわしめて、この国土に生まれてほしいのです。

舎利弗よ、私が今こうして、阿弥陀仏の思いはかることのできないすぐれたはたらきをほめ讃えるように、東方では同じように、東方浄土の主、無動仏・山幢 仏・大山仏・山光仏・妙幢仏等、ガンジス河の砂の数ほどのたくさんの諸仏がおられ、それぞれが自分の国で、大きな口をつかって、三千大千世界のすみずみに わたって、極楽の素晴らしさを説かれています。従ってあなたたちは、この思いはかることのできないすぐれたはたらきをほめ讃えるのです。すべての諸仏に護 念された経典を信じなければならないのです。

舎利弗よ、南方の世界には日月光仏・名称光仏・大光蘊仏・須弥灯仏・無量精進仏、等ガンジス河の砂の数ほどのたくさんの諸仏がおられ、それぞれが自分の国 で、大きな口をつかって、三千大千世界のすみずみにわたって、極楽の素晴らしさを説かれています。従ってあなたたちは、この思いはかることのできないすぐ れたはたらきをほめ讃えるすべての諸仏に護念された経典を信じなければならないのです。

舎利弗よ、西方の世界には、無量寿仏・無量相仏・大光仏・大明仏・宝相仏・浄光仏、等ガンジス河の砂の数ほどのたくさんの諸仏がおられ、それぞれが自分の 国で、大きな口をつかって、三千大千世界のすみずみにわたって、極楽の素晴らしさを説かれています。従ってあなたたちは、この思いはかることのできないす ぐれたはたらきをほめ讃えるすべての諸仏に護念された経典を信じなければならないのです。

舎利弗よ、北方の世界には、焔肩仏・最勝音仏・難沮仏・日生仏・網明仏、等ガンジス河の砂の数ほどのたくさんの諸仏がおられ、それぞれが自分の国で、大き な口をつかって、三千大千世界のすみずみにわたって、極楽の素晴らしさを説かれています。従ってあなたたちは、この思いはかることのできないすぐれたはた らきをほめ讃えるすべての諸仏に護念された経典を信じなければならないのです。

舎利弗よ、下方の世界には、師子仏・名聞仏・名光仏・達摩仏・法幢仏・持法仏、等ガンジス河の砂の数ほどのたくさんの諸仏がおられ、それぞれが自分の国 で、大きな口をつかって、三千大千世界のすみずみにわたって、極楽の素晴らしさを説かれています。従ってあなたたちは、この思いはかることのできないすぐ れたはたらきをほめ讃えるすべての諸仏に護念された経典を信じなければならないのです。

舎利弗よ、上方の世界には、梵音仏・宿王仏・香上仏・香光仏・大焔肩仏・雑色宝華厳身仏・娑羅樹王仏・宝華徳仏・見一切義仏・如須弥山仏、等ガンジス河の 砂の数ほどのたくさんの諸仏がおられ、それぞれが自分の国で、大きな口をつかって、三千大千世界のすみずみにわたって、極楽の素晴らしさを説かれていま す。従ってあなたたちは、この思いはかることのできないすぐれたはたらきをほめ讃えるすべての諸仏に護念された経典を信じなければならないのです。

舎利弗よ、そなたはどう思われるか。なぜ今、私が説くところを、「一切諸仏に護念される経」と名付けるのか。舎利弗よ、仏を信ずる男子、女子で、これら六 方世界の諸仏の説かれた阿弥陀仏の名号、あるいは経典の名を聞いて、極楽に生まれたいと願う者は、すべて、あらゆる諸仏によって護念され、無上のさとりの 道から、決して迷い出ることはないからです。従って舎利弗よ、あなたらはそろって、私が語るところ、あるいは諸仏の説くところを信じ受け入れてほしいので す。

舎利弗よ、ある人が、過去において願いをおこし、現に願いをおこし、未来に願いをおこして、阿弥陀仏の国に生まれたいと欲する場合、この人々はすべて、無 上のさとりの道から迷い出ることはなく、この国土にそれぞれ、過去にも生じ、現に生まれ、未来にも生まれるでしょう。従って、舎利弗よ、さまざまな仏を信 ずる男子・女子にあって、信あるものは、ぜひ願いをおこして、この国土に生まれてほしいのです。

舎利弗よ、私がこうして、諸仏の思いはかることのできない、すぐれたはたらきをほめ讃えるように、その諸仏たちもまた、私の思いはかることのできないすぐ れたはたらきをほめ讃え、次のように述べるのです。「釈迦族の聖者、仏陀は、たいそう困難な事業を実現しています。それは苦悩の世界のなかでも五濁悪世と よばれる、時代の濁り、思想の濁り、煩悩の濁り、有情の濁り、寿命の濁りの濃い只中で、最高のさとりを完成し、さまざまな衆生のために、信じられることの 難しい法を説かれています」と。舎利弗よ、よく心得てほしい。私は五濁に汚れたこの世において、困難にうちかち、最高のさとりを完成し、すべての世の人び とのために、信ずることの難しい法を説いています。これこそ本当に難行です。

釈尊がこの「阿弥陀経」を説きおわられると、舎利弗と、その場のもろもろの出家のお弟子、あるいは天・人・阿修羅の境界にあるすべての者が、釈尊の説法を聞くと、喜びにあふれ、礼拝をし、その場を立ち去ったのであります。
『釈尊が阿弥陀仏及び極楽を説かれた教え』

※上記の現代語訳は『浄土三部経下』(池田勇諦・瓜生津隆真・神戸和麿監修 四季社)によることをお断りしておきます。