第90回:「啐啄同時」

「啐啄同時(そったくどうじ)」とは、鶏(にわとり)の卵がかえるとき、雛鳥(ひなどり)が内側からカラをつつき(啐)、親の鶏が外側からカラをつつく(啄)ことをいいます。

親の鶏が外からつつくだけでは雛鳥は生まれません。雛鳥がつつくだけでも生まれてくることができないのです。まさに親の鶏と雛鳥の協力が必要なのです。

それは、善き師に遇(あ)うことによって弟子が育つ、あるいは「弟子の準備ができると、師が現れる」(ラマ教のことば)ということです。どちらにしても、師弟の出遇いが大切です。弟子だけ、師だけでは教えや学びは実現しません。

学ぼうとする意欲さえあれば、あらゆることから気づきを得ることができます。そこから思惟(しゆい)が始まって、行為となっていきます。学ぶとは知的な面だけではなく、眼耳鼻舌身意の六根を働かせることなのです。

明順寺住職:齋藤明聖