第43回:「縁に生きる」

お釈迦さまは、最初の説法で「縁起の法」を説いたといわれています。世の中には原因と結果がありますが、その原因には外因と内因とがあり、外因によってはまた違った結果になるかもしれない。そのことをお釈迦さまは「縁」といわれたのです。

親鸞聖人も、私たちが人と出会いまた別れて一喜一憂することを「つくべき縁あればともない、 離なるべき縁あれば離なる」と示され、また私たちは人ひとりを殺そうなどとは思いもよらないことですが「さるべき業縁(ごうえん)のもよおさば、いかなる ふるまいもすべし」、百人千人を殺してしまうこともあるかもしれない、そういう世の中を生きている、と教えてくださっています。

私たちは、さまざまな「縁」によっていま生かしめられているのですが、したがってある意味では「縁」に翻弄(ほんろう)されるがごとく、喜び、悲しみ、苦しみ、もがきながら生きていかなければなりません。

そして最後は、ひとつずつ縁がほどけていって「娑婆(しゃば)の縁つきて力なくして終わるとき」と、涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)といわれるまったく静かなお浄土へと還(かえ)らせていただくのでしょう。

明順寺住職:齋藤明聖