腹籠りのお聖教

蓮如上人が吉崎にご逗留の際は、本向寺(当寺は本光寺)の五代目住職、了顕は蓮如上人にお仕えしていました。

文明6年(1474年)の3月、本坊大火の際、蓮如上人が大切に拝読されていた「ご本典(教行信証)の『証』の巻」を持ち出せませんでした。

それを耳にした本向坊了顕は、蓮如上人や側にいた人たちの制止を振り切って燃え盛る火中に飛び込みます。

本向坊了顕がやっとの思いで、書院に辿り着くと、『証』の巻は、まだ燃えずに机の上にありました。

『証』の巻を手にし、脱出しようとするのですが、もう火が四方に廻り、行く手を遮ってしまいました。

ようやく手にしたお聖教、我が命に代えてもお護りせねば

本向坊了顕は、自らの腹を切り割き、内臓の奥深くに『証』の巻を収める決意をし、腸をつかみ出し、『証』の巻を腹に押し込みます。

吉崎御坊を焼き尽くした猛火も収まり、その焼け跡からは『証』の巻を切り開いた腹にしっかりと抱いた本向坊了顕の遺体が発見されました。

蓮如上人は、涙ながらに本向坊了顕の顔を撫でると、それまで見開いたままの両眼を優しく閉じたと言い伝えられています。(真宗懐古鈔より)

その後、本向坊了顕の「お念仏の力(念力)」によって奇跡的に『証』の巻の焼失を免れたので「腹籠もりのお聖教」として伝わっています。

このエピソードが、後に節談説教「血染めのお聖教」となって全国各地に語り伝えられていったのです。

実は、私たちがいつも拝読する聖典(勤行本)が「赤い表紙」になっているのは、本向坊了顕が命を懸けて守った「血染めの聖教」を表しているのです。

ですから、いただいてから聖典(勤行本)を開き、また、いただいてから聖典(勤行本)を閉じるなど、心して大切に拝読しなければなりません。

http://saiguji.mitelog.jp/houwa/2011/11/post-5d4b.html

 

1件のコメント

  1. アバター画像 明順寺住職 : 齋藤明聖 より:

    ツイッターを見ていましたら、このようなブログに行き当たりました。「腹籠りのお聖教」は有名なお話です。思い出して皆さまにもお伝えしようと思いました。

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