第68回:「人知の闇」

昭和8年の三陸大津波で被災した岩手県宮古市の姉吉漁港は、集落ごと60メートルの高台に移転して集落の入口に碑を建てました。「高き住居は児孫の和楽 此処より下に家を建てるな」と。今回の巨大大津波は、その石碑の50メート手前で止まりました。

昔の人は、自分自身の経験や先祖からの伝承で津波の恐ろしさを知っていたのでしょう。現代社会を生きる私たちは、そうした先人たちの願いを受けとめることなく、ひたすら経済・科学の進歩発展を信じ、その恩恵を享受してきたように思われます。

それがはっきりと知らしめられたのが、今回の未曾有の大地震と巨大津波、予想だにもしなかっ た原発の危機的状況でした。私は、そういう意味で、蔓延する「自粛ムード」は、被災地への配慮というよりも、人間が「人知の闇」を垣間見たことによる衝撃 がその実態であるように思えてなりません。なんて人間は小さいのか、なにを今まで浮かれていたのだろうか…、と。

密教フォーラム事務局長・満福寺住職・長澤弘隆師は言われます。「今回の大震災や原子力発電所の事故を『科学的』に考え『科学的』に片づけるとしたらちょっと安易ではないでしょうか。人間が科学を武器に自然を克服できると自惚れている以上、『人災』は止みません」。

哲学者の梅原猛氏も、人間の文明を過信し過ぎたことによって起きる災害を「文災」と表現しています。

作家の高村薫氏はこう言います。「決定的な破壊と喪失を、同時代を生きる人間の共通の体験と して捉えるとき、被災者も非被災者も、地震の前と後では生き方が変わるのであって、それはやがて時代精神の変容につながっていく…」「1万人を超えた死者 たちが、生き残った私たちに生き方を見つめ直せ、新しい時代へ踏み出せと、呼びかけている…」と。

あらためて人間は、人間存在を超えた絶対無限の仏(仏智)に、自然に、先人たちの願いに、慎み深く、謙虚であるべきだと考えさせられます。

明順寺住職:齋藤明聖