私は時代社会に「生きる力」が無くなってきている、仏教が「生きる力」を示していかなければ…と思い続けてきました。
明順寺のご門徒でお子さんを幼くして亡くされた方がおられるのですが、「子どもの50回忌まではどうしても生きていたいと思います」といわれます。私はこ の言葉に「生きる力」のヒントがあるように思うのです。
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たまたま出あった『生きる力』(梶原敬一著)という本に次のようにありました。
「生きるということは、生きたいということだけで続けられていくわけではなくて、生きなければならないということにおいて生が続けられていくということで す。それは、先ほど言った、自分が誰かのためにあるかということです。それは私にとっては、私に先立って亡くなっていった人たちであるということにほかな りません。その人たちのためにこそ生きなければならないのです」
「死んだ人に対して、その人を意識しながら、その人といつも語り合う。死んだ人を意識しながら死んだ人の思いを心の中に刻み続けること、それが人間の仕事の、私たちが具体的に生きていく中で、なさねばならぬことではなかろうかと思うんです」
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仏教は「縁」を説きますが、「縁」~つながりは横の広がりだけではなく、時を超えて過去から未来へと連なっていくものなのでしょう。
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明順寺住職:齋藤明聖