第11回:「太古からの遺産、それはわが身」

少し前に、いじめによる自殺が連鎖しておきたことがありました。
そんなとき朝日新聞に「いじめられている君へ」というコラムができ、高史明さんという作家の方の言葉が紹介されていました。

高さんは小学生のお子さんを自死というかたちで失っています。それから『歎異抄』に出あい、今は自我という自分の背骨に代わって仏さまに背骨をいただいた、南無阿弥陀仏という背骨をいただいて生きている、といわれる念仏者であります。

ある日、玄関を開けると、中学生の女の子が死にたいと。そこで高さんが「死にたいって君のどこが言っているんだい、ここかい?」と頭を指すと、うなずいたと。

「でも君が死ねば頭だけじゃなくて手も足もぜんぶ死ぬ。まず手をひらいて相談しなきゃ。ふだん支えられて立っている足の裏とも相談しなさい」と諭したというのです。

少ししてから女の子から「しばらく歩き続けることにしました。足の裏の答えがでるまで歩くことにしました」という手紙が寄せられたそうです。

私たちは、自分の思いどおりになることを自分自身のよりどころとして生きているのです。「いのち」さえも自らの思いで解決しようとしてしまいます。

「太古からの遺産、それはわが身」という藤元正樹先生の言葉がありますが、あろうはずのない「いのち」をいただいて、いま現にここに生きているという事実に驚き感謝していきたいと思います。

明順寺住職:齋藤明聖