東京教区「聖典学習会」

豪雨の影響で新幹線が遅れ、三重県桑名からいらっしゃる池田勇諦先生には大変お疲れになったことと思います。「教行信証に学ぶ」第5回目の講義です。今回 は、標宗13文字「大無量寿経 真実の教 浄土真宗」について、これは親鸞聖人の立教開宗の宣言であるということをお話くださいました。
自分史を書くということがありますが、そこに「歴史観」がなければそれはただの事実の羅列に終わってしまいます。歴史観とは歴史を見る「眼」といえるもの です。そういう意味で端的に親鸞聖人の仏教史観をうかがえるのが『正信偈』です。「釈迦一代のご苦労の歴史は、親鸞一人に弥陀の本願のご苦労をとどけてく ださった歴史であった」と。
釈迦を理想像とし人間を立場とした人間の努力によって救いを獲得しようとする聖道門は、あくまで道ゆきであっても目的ではありません。しかも何びとにも通 用するものでもないのです。そうした釈迦中心の旧仏教史観に対し、親鸞聖人は弥陀を中心にした、いわば新仏教史観を「浄土真宗」として表明したということ がいえます。「弥陀あっての釈迦ではないか、釈迦をして仏陀たらしめた法そのものに目覚めなければならない。気がついてみれば、私たちは、お釈迦さまと同 じ地平にあったのだなあ」と。お釈迦さまも阿弥陀さまに包まれていたのだということなのですね。

明順寺住職:齋藤明聖