9月22日午前11時より明順寺「秋季彼岸会法要」が行われました。思いがけない激しい大粒の雨が降る中でしたが、本堂からロビーにまで溢れるご参詣がお越しになり、用意した資料もなくなるほどでした。
例年のとおり「真宗宗歌」が流れる中、導師が出仕、法要が始まりました。「阿弥陀経」中に皆さまにはお焼香をいただき、「正信偈・同朋奉賛」は皆さまといっしょにお勤めさせていただきました。
まさに皆さまとともに「彼岸会法要」がお勤めされましたこと、有難く厚くお礼申し上げます。
法話は副住職が。
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副住職からのお話
【阿弥陀の誓願・四十八願】
法蔵菩薩因位時 在世自在王仏所 覩見諸仏浄土因 国土人天之善悪
建立無上殊勝願 超発希有大弘誓 五劫思惟之摂受 重誓名声聞十方(「正信偈」)
法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。(真宗聖典204頁)
【第三願 悉(しっ)皆(かい)金(こん)色(じき)の願】
たとい我、仏を得んに、国の中の人天、ことごとく真金色ならずんば、正覚を取らじ。(たとえ私が仏になっても、人が、輝いて生きていないならば、私は仏にはならない。)
【光と闇】
普段、元気そうに見える人が、本当に生き生きと生きているのかと言えば、決してそうとは言えないと思います。実はお腹の中に抱えきれない苦悩を抱えているということがあるのではないでしょうか。
こうあるべきだという考えに縛られたり、大切に思えば思うほど自分の限界を超えて頑張ったりします。苦しみから逃れるために、怒りに変えて対人トラブルに発展することもあります。
そういった我々が抱えている闇を、闇として自覚することは怖いことのように思われます。しかし、それを自覚できたところに喜びや解放があるのです。
お盆のお話をした時に、「あなたは海の話をしたかもしれないけれど、なんだか私の話をしてくれたように感じた」とおっしゃってくださったご門徒さんがおりました。
聞法していく上で一番大事なことを教えてくださったなと思います。色んな人の話を聞いて、私自身はどういった生き方をしているだろうかと、皆さんと一緒に考えていきたいなと思わせていただきました。
次回は【第四願・無有好醜の願】を取り上げてお話させていただきますので、どうぞお育て戴きたいと思います。今日はお越しくださいましてありがとうございました。