「盂蘭盆会法要」が勤まりました

7月15日午前10時より、明順寺「盂蘭盆会法要」が執行されました。あいにく、時折激しい雨の降る中、例年よりご参詣が少なかったように思われます。

定刻に、喚鐘(かんしょう)。讃歌「みほとけにいだかれて」が流れる中、住職が直登壇。焼香・三帰依文唱和・表白・阿弥陀経・短念仏・回向。

阿弥陀経中に、皆さまにはお焼香していただきました。

下高座して、祖師前に。正信偈・同朋奉讃をお勤めいたしました。ご参詣の皆さまも大きな声でいっしょにお勤めされていて感動を覚えます。お文は、副住職が。

その後、住職から全日本仏教会理事長退任の挨拶。法話は副住職が担当しました。阿弥陀の誓願であります四十八願をテーマに継続的にお話していますが、今回は第二願「不更悪趣の願(ふきょうあくしゅのがん)」です。

副住職からのお話

【阿弥陀の誓願・四十八願】
「正信偈」
法蔵菩薩因位時 在世自在王仏所 覩見諸仏浄土因 国土人天之善悪
建立無上殊勝願 超発希有大弘誓 五劫思惟之摂受 重誓名声聞十方

法蔵菩薩の因位の時、世自在王仏の所にましまして、諸仏の浄土の因、国土人天の善悪を覩見して、無上殊勝の願を建立し、希有の大弘誓を超発せり。五劫これを思惟して摂受す。重ねて誓うらくは、名声十方に聞こえんと。 (真宗聖典204頁)

【第二願 不(ふ)更(きょう)悪(あく)趣(しゅ)の願】
たとい我、仏を得んに、国の中の人天、寿(いのち)終わりての後(のち)、また三悪道に更(かえ)らば、正覚を取らじ。
(私が仏になっても、人が、帰る場所が定まらず、人間性を失って生きてしまうならば、仏は仏にならない。)

【依(よ)り処(どころ)】
親鸞聖人がご製作された『教行信証』の中では、私たちの生活を海(難度海)で表してあります。海というのは、静かに波打つ時もあれば、荒波が押し寄せることもあります。イルカに出会って癒されることもあれば、鮫と出遭って傷付けられてしまうということもあります。その海を渡っていくことを、私たちの人生の歩みとして表現してあります。

先の見えない生活に誰もが不安を抱え、依り処なくしては歩んでいくことが難しいのです。どんな人でも依り処はあります。しかし、何を依り処にして生きていくことが、本当に生きるということなのでしょうか。

・自分以外のものを依り処にする生き方
→家族、友人、お金、薬

・自分を依り処にする生き方
→積み上げた知識、経験

・三宝を依り処にする生き方
→仏(呼びかけてくれる人)
法(教え、阿弥陀のはたらき)
僧(共に生きる人々)

明日、7月16日午後6時からは「新盆合同法要」が勤まります。

ロビー席まであふれる約55名の参詣者
ロビー席まであふれる約55名の参詣者
法話をする副住職
法話をする副住職